「災害とたたかう大名たち」②清末藩(県)の一揆

9月月4日のこのブログの続き。

藤田達生著「災害とたたかう大名たち」には災害対策などで、強く結びついた藩と領民を示すものの例として、明治維新後の廃藩置県で、旧藩主が領地を離れ東京に集められることに際し、西日本を中心に、藩士ではなく領民たちが「旧藩主引き留め一揆」を起こしたことが書かれている。
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明治政府はこれを天皇蔑視の大罪として府県の権限で処断を進めさせ、軍隊の出動も認めて首謀者は死刑に処した。

この一揆発生の地域のひとつに私の郷里に程近い清末藩(廃藩置県で清末県・現在の山口県下関市)が挙げられており、旧知の下関市立歴史博物館の学芸員の方にお願いして、山口県史と下関市史の記述該当部分を送っていただいた。

それによると一揆は明治4年10月、清末県の農民約千人が・藩知事の帰郷・神仏分離の取り消し・外国人立ち入り禁止・散髪令の廃止・藩知事帰郷まで年貢納入保留の5項目の要求を掲げ竹槍や猟銃で武装、強訴した。

この一揆は各地の「旧藩主引き留め一揆」と軌を一にするものだがその中身は明治の新政への不満が基礎になっている。
県からの官吏の派遣で一揆は離散、指導者は絞首となった。

清末藩は萩・毛利藩(長州藩)の支藩であり、2020年4月13日のこのブログに「日本で一番小さな大名・清末藩一万石」としてその由来等も書いたが、幕末からの戊辰戦争を官軍側で戦い続け、いわば明治維新の功労藩のひとつと云っても良いが、その膝元でも新政に対する農民階級の不安や不満が渦を巻いていることに改めて興味を覚える。

◎歩きの途中、平野川の流れに孤立する水鳥
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