中断中の独り言⑦お菓子の包装あれこれ

私が外出せずに家に居るときの習慣のひとつが午前と午後1日2回の珈琲タイムで、この時新聞や本を読むのが楽しみになっていて私の幸せ時間である。

この際には何か甘いものが欲しい方で洋菓子、和菓子、など置いてある場所は決まっているので自分で選択して珈琲と共に自分の気に入った居場所に持ち運ぶ。

お菓子には色々な包装の仕方があり、それを取り出すのにすんなり簡単に解けるものがある反面、開けるのに難儀して中のお菓子が変形してしまい、これは菓子屋さんやメーカーが自分で開けるなどの目配りを怠っているなと思うものもある。

子供のころビスケットやクッキーなどは1回で食べきれない分量の包装が一般的であったが、現在はほとんどの場合その中が更に個装されており、残ったものが湿気る事が無くなり便利になっている。

この個装には保存対策で色々工夫された材質が使われているが密封シールされたあとはほとんどの場合ギザギザカットが施されており、この谷の部分を切り口にして開けやすくしている。

それでも簡単に開けられるものとなかなかすんなり行かないものがあり、材質と併せそのギザギザの切り口の仕上がりが関係しているように思われる。

お菓子のなかでも「かりんとう」は好きなものの一つで、あるメーカーのものをいつも買いおきしてもらい数日おきに食べていたが、このギザギザカットの切り口が荒れていると感じて、しばらくしてその工場が火事になったニュースが流れて来た。
(この工場は現在生産停止らしく、その「かりんとう」が手に入らなくなって淋しい思いをしており、ついブログに書いてしまった)

現役時代の経験から見て、このような切断部分の精度をいつも維持することは日々のカッターや機械のメンテナンス、生産管理の努力の賜物であり工場のレベルの一端を表している。

お菓子はそのものの美味しさに尽きるが、その美味しさを感じるには食べるまでのプロセスにも目を向けることが必要で、振り返ってみると自分の中にも本質は徹底して頑張るがその周りはいい加減でいいやと思う気質があり、珈琲を飲みながら反省している。

【日に二回 コーヒタイムの幸せは 左新聞 右かりんとう

🔘近所の散歩道沿い