中断中の独り言⑧ふるさと厚狭の石炭(週刊誌記事から)

山口県は国内有数の石炭埋蔵地域で、ふるさと厚狭も例外でなく、江戸時代・藩政期から昭和にかけての石炭との関わりについて、2020年8月26日~9月3日に3回に別けて、このブログに「ふるさと厚狭の石炭」と題して書いてきた。

9月3日の③では、昭和14年「厚狭炭鉱」が山川(やまがわ)地域に開業して最盛期600人近い従業員が働き、人手を集めるため県外や朝鮮半島まで募集が行われた歴史を書いた。

最近コロナも落ち着きを見せているため朝の歩きのついでの「コメダ珈琲店」での珈琲ブレークを再開しているが、そこで今日読んだ「週刊新潮」の記事中に「厚狭炭鉱」が載っている資料があり、これもふるさとの歴史の一部と思い書き残しておくことにした。

記事は戦前の「徴用工」といわれる人々に対する未払い賃金の行方を追った連載で、内容に立ち入るつもりは全くないが、その説明資料の一つに1953年に労働省労働基準局給与課が作成した「帰国朝鮮人労働者に対する未払賃金債務等に関する調査集計」が載っている。

山口県では唯一「厚狭炭鉱」が載っており、33人分 の保管していた預金通帳、計1813円30銭を組長に引き渡したとある。組長とはグループリーダーのことだろうか。

「厚狭炭鉱」は私の中学校通学路の側にあり、炭鉱閉山後の所々陥没した地形や小さいぼた山を毎日見て通ったが、そこで朝鮮半島出身の人々が実際に働かれていたことは間違いない事実である。

【霞立つ 海の彼方に 我が住まい】
ーーー神戸から大阪湾を隔てて大阪・河内、和泉を見ている。

🔘バラの花はそのひとつひとつが例えようもないほど美しい気がする。