子母澤寛「幕末奇談」

1967年に亡くなられた作家・子母澤寛氏は幕末に材を採った作品を多数手掛けられ、勝海舟親子を描いた「親子鷹」「勝海舟」「おとこ鷹」や新撰組の事績を丹念に収集した「新撰組始末記」「新撰組遺聞」「新撰組物語」はベストセラーになった。

特に新撰組について、子母澤氏はまだ関係者が生きておられる時分に元新聞記者の経験を生かして丹念に聞き取り調査を行いこれを元にして新撰組3部作として発表、今日の新撰組研究の先駈けと云える成果になっている。

子母澤氏は幕末維新を敗者である幕府側に立って描かれるケースが中心であり、長州山口県を故郷とする私から見ると少し見方が異なる事も多いが、丹念に脚で書かれたと云える「新撰組始末記」については立場こそ違え、半世紀も前からその努力に敬服していた。


その子母澤寛氏の文庫本随筆集「幕末奇談」を近所の図書館で借りだし読み終えた。
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幕末の、政治に始まり市井の噂話までを網羅した随筆集になっているが、この中で子母澤氏には珍しく長州側を誉めて幕府役人をこき下ろしている章があり、今まで子母澤氏の著作を色々読んできた者として少々驚いた。

私もこの日記で何回か触れた事があるが、長州藩が下関で外国船に攘夷決行のために砲撃を加えた事件について「長藩外船砲撃」という章で書かれている。

長州藩が砲撃した事への報復の為、4ヶ国連合艦隊が下関に来襲、長州藩はボコボコに敗けて講和交渉が始まるのだが、長州では英国留学途上の井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)が急遽帰国して高杉晋作と共に折衝に当たり、下関彦島の租借要求を拒み通し、賠償金の支払いを幕府に肩代りさせる。

この時の幕府側の折衝役が身の保全にのみ努めるところが子母澤氏の怒りに繋がっている。
立場を越えて良いことは良い、不都合は不都合という思考こそ歴史家の大切な資質であろう。

何処に書かれていたのか今は思い出せないが、作家司馬遼太郎さんも、子母澤寛氏の努力の証の新撰組3部作を称賛されていた記憶がある。

夏の定番ゴーヤ
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