司馬遼太郎さんの随筆⑨『「坂の上の雲」を書き終えて』

NHK TVでスペシャルドラマと銘打った「坂の上の雲」が再放送されていて、私は飽きもせず以前見たにも係わらず録画再生して再び熱心に観ている。

云うまでもなく伊予松山出身の三人、秋山好古(あきやまよしふる・日本の騎兵の生みの親)、真之(さねゆき・日本海海戦の作戦を立案)兄弟と正岡子規(まさおかしき・近代短詩の父)の成長を横糸に、明治日本の日露戦争前後の姿を縦糸にして描く作家・司馬遼太郎原作のドラマで、番組冒頭の「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている」という字幕とナレーションは、この原作の出だしにも使われているこの物語を凝縮した言葉である。

この原作は産経新聞に4年あまりかけて連載されたものだが、司馬遼太郎さんには昭和47年8月に産経新聞に掲載された『「坂の上の雲」を書き終えて』という随筆があり全集に収録されている。

そのなかでの日露戦争への見方は以下のようなことに要約され、日本にとって歴史上の大きな結節点であったとの認識であり、この考えは物語の随所に出てくることになる。

日露戦争までの日本の指導層は自分の弱さを冷静に見つめ、それを補強するための戦略や政略を冷静に立てることが出来た。

・当時日本の国民感情からすると日露戦争は祖国防衛戦争であった。

・然しこの戦争に勝利した日本は滑稽な夜郎自大(やろうじだい)な国となりこの戦争の科学的分析を怠り、その後アジアの近隣の国々とってのおそるべき暴力装置になった。

私は新聞連載時には読んでいないが、文藝春秋社から出版された全六巻の単行本は何れも初版版と同時に買い求め、読み終えると次巻の発行が待ち遠しくて仕方なかった記憶が残っている。

司馬さんも、構想や調査に10年、執筆に4年計14年を費やして完成したこの大作には思い入れが深かったようで、この随筆の最後を以下のような文章で結んでいる。

ともあれ、機関車は長い貨物列車の列を引きずって通りすぎてしまった。感傷だとはうけとられたくないが、私は遠ざかってゆく最後尾車の赤いランプを見つめている小さな駅の駅長さんのような気持ちでいる。

🔘今日の一句

 

道の端(はた)辛き世過ぎの野菊かな

 

🔘健康公園で出会ったバッタ、クビキリギリスと思われる。たまたま跳びはねたので分かったが草むらでの静止状態ではなかなか見つからない。

🔘時折歩く神戸淡路自動車道を跨ぐ跨線橋の欄干付近に絡み付く野生のタンキリマメ(痰切豆)、薬効もあるらしい。