「坂の上の雲」⑦一朶(いちだ)の雲

司馬遼太郎さんの全6巻の大作「坂の上の雲」を読み始めた若い頃、私はなぜこの物語の題が「坂の上の雲」なのか疑問に思ったままだった。

周知のようにこの物語は明治の伊予松山人・秋山好古、真之兄弟と正岡子規の生涯を縦糸に、日露戦争を横糸にして織り込まれたものでありどこにも題名のヒントになるようなものはなかった。

今この小説を少しずつ読み返すなかで、第1巻のあとがきの部分に行き当たり、「そうかこのあとがきを読んでようやく司馬さんがこの題名をつけた訳が分かったなあ」と当時の想い出がまざまざとよみがえって来た。

少し長いがこの物語の核心とも言える部分であり以下に転載させて貰うことにした。

『このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的にはこのつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前のみを見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。』

この物語に登場する人々には及びもつかないが、私も含めて誰しも一朶(いちだ・ひとむれ)の雲を目指して坂道をのぼった、またはのぼりつつある経験者だろうと思う。

見つめる先が他の何者でもなく「一朶の白い雲」としたところに作者である司馬さんの深い意図があるような気がしており、老婆心ながら今の日本に最も必要な事かも知れない。

 

【鴬(うぐいす)の声が励ます朝未明(あさまだき)】

 

🔘健康公園桃源郷の桃の仲間がここ数日の温かさでだいぶ花開いてきた。