「坂の上の雲」⑬技術者の日露戦争

日露戦争は国力や物量が何倍もある国に戦いを挑み、色々な条件幸運などが重なり辛うじて勝ちを制した戦いであった。ここではその勝ちに向けて明治の技術者が果たした役割の中から二つの例を書いておきたい。

①下瀬火薬

海軍省兵器製造所に勤務して砲弾の炸薬を専門に研究した下瀬雅充(しもせまさちか)が発明した火薬で、ピクリン酸を主原料にして、ピクリンが鉄に接触するとピクリン酸塩を作る性質を利用したものである。

従って鋼鉄艦相手の艦砲で威力を発揮し、爆発するときの熱は3000℃にものぼる火薬に於ける革命的なものであり、日露戦争の、黄海海戦蔚山(うるさん)沖海戦、日本海海戦何れもロシア艦隊を圧倒する原動力になった。

すなわち日本海軍はこの下瀬火薬の砲弾で敵の戦闘力を失わせることを狙ったが、ロシアの砲弾は鋼鉄を貫通し艦を沈めることを狙っていた。

司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」のなかでロシア軍人にこう言わせている。

『艦体に命中せず、舷側の海中に落ちただけでもう大炸裂をおこし、その砲弾から出る高熱ガスが吃水下装の鋼鉄板の縫合部を破壊したり、浸水させたりするのです』

『その爆発によるガスの力はロシア砲弾の比ではありません。舷側および甲板上の金属はもちろん、煙突をやぶり通風筒をやぶり、鉄製マストをふっとばし、船の操縦をつかさどる機械を破壊してしまう~~~』

『あれは砲弾じゃない、飛ぶ魚雷だ』

②二十八サンチ榴弾砲

私の郷里山口県出身の大砲技術者・有坂成章(ありさかなりあきら)は従来の速射砲を改良し31年式速射砲通称有坂砲を開発、日露戦争野戦の主力砲として威力を発揮した。

日本の命運が旅順要塞の攻略にかかっている折日本軍苦戦の情報を聞き、日本の沿岸要塞に据え付けている巨砲・二十八サンチ榴弾砲を分解して現地に送りこれをロシア要塞の破壊に用いることを提案する。

東京湾や大阪湾の入り口に敵の軍艦の侵入対策として据え付けられているもので解体して運搬するということは当時の常識から外れたものであったが、上層部の了解を得て実行された。

結局、この砲の威力と日本軍総参謀長・児玉源太郎の指揮で要地である203高地の奪取に成功、この砲の砲撃で旅順艦隊を全滅させ、旅順要塞が陥落する。

司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」のなかで陸軍技術審査部長の職にあった有坂にこう言わせている。

『私にわかっているのは大砲のことだ。いま旅順へもって行っている大砲、ああいうものではとても落ちないよ』

『私は奇抜なことをいうようだが二十八サンチ榴弾砲を送ろうじゃないか』

 

【虎杖(いたどり)が吾薬草と嗤いおり】

 

🔘健康公園の雑草ではないシリーズ、小さな花ノハラムラサキと思われる。