司馬遼太郎が見た毛利の家祖&サラリーマンの元祖・大江広元

図書館でたまたま目についた2001年に刊行された「司馬遼太郎がゆく」プレジデント社を借り出して読み始めているが、多くの人に読まれたらしく本の体裁がだいぶくたびれて来ている。

それだけ司馬遼太郎さんに対する支持が多い証拠かもしれない。色々な角度からその魅力に迫ろうとするなか、第三章で司馬さんが本名の福田定一で若き日に書いたサラリーマン向けの随筆「サラリーマンの金言」が転載されている。

大抵の司馬作品は読んできたがこの随筆は未読で、たまたま遭遇したことに喜び早速読み終えた。

歴史上の人物や司馬さんが勤めていた新聞社で出会った複数の人達をサラリーマン的な視点で描いたもので元サラリーマンとしても時代を越えてうなずけるものが随所にある。

この中で鎌倉幕府の草創期に活躍、先日終わった大河ドラマでも存在感を発揮した大江広元(おおえのひろもと)が『サラリーマンの元祖』として取り上げられている。

大江広元は私が追いかけている毛利氏の家祖とも云え、毛利の本姓は大江である。

大江広元は京育ちの下級公卿だったが源頼朝に乞われて鎌倉に下向、最初から公文所別当(くもんじょべっとう)という政府の事務総長にありつき、武家政治のお膝元に居ながら筆一本で所領数ヵ国を得、血なまぐさい鎌倉に有って生き抜き畳の上で大往生を遂げた。

この保身に成功した秘訣を司馬さんは保身家であっても遊泳家でなく、色々な謀議に加わっても自分の利害でなく御家(鎌倉幕府)のためという筋が通っており人の恨みを買っていないところにあると分析し、鎌倉システムに貢献したホワイトカラーサラリーマンになぞらえているわけである。

大江広元の座右訓

『益なくして厚き祿をうくるはぬすむなり』

私もサラリーマンだったので、ふるさとに繋がる人物が時を超えてサラリーマンの鑑のように例えられているのはとても嬉しい。

 

【北風に杖を頼りと立ち向かう】

 

🔘健康公園で出会う野鳥は余り人を気にせずエサ探しに余念がない。

ハクセキレイ

ツグミ