『「韓非子」(かんぴし)入門』

渡邉義浩(わたなべよしひろ)著『「韓非子」入門』ミネルヴァ書房刊 を読み終えた。

国史での戦国時代は日本の戦国時代よりはるかに古く「戦国の七雄(しちゆう)」と呼ばれた国々が覇を競った、紀元前403年から前221年迄のおよそ180年間が対象となる。

この時代、七雄の一国・秦(しん)の王・政(せい)が他の六国を次々に征服して統一王朝を打ち立て「秦の始皇帝」と称するが、この始皇帝がその内容や思想に感激し統治に活用したと云われるのが韓非を源流とする著作「韓非子」である。

(余談ながら現在私の孫も含め若い人に大きな支持を得ているコミック「キングダム」はこの時代の秦王・政を中心にした物語である)

韓非は七雄で最弱と云われた「韓」の公子(こうし・嫡子でない王子)で秦の侵略を止めるべく使者として出向くが、説得に失敗し臣下の讒言(ざんげん)もあり秦王・政に依って殺される。

しかし始皇帝はこの事を生涯悔いたとされる。

韓非子は韓非の著作のみでなく、その後継者達の著作も含めたものと云われ、その思想は秦の中心思想として後継の「漢(かん)」も含む歴代王朝や今も続く中国の中央集権的体制の根幹を支えている。

中国に発する有名な思想に孔子を源流とする儒家の「論語」があり「仁」を最高の徳目とするように一般に国を治める根本を「徳治」と称する。

一方韓非子の思想は法家・「法治」と云われ儒家の思想と対峙する部分が多い。

余談ながら、この儒家と法家の違いを端的に表す一端を多少の誤解を恐れずに云うと、究極の選択のなかで、儒家は法の存在より人間の感情として例えば親に孝を優先し、法家では例え親であっても法に基づく信賞必罰が優先される。

つい前置きの説明が長くなってしまったが、この本は韓非の生涯や韓非子の生まれた時代背景を詳述すると共に、国を治める君主の立場から、臣下を統御する「術」、賞罰の基準となる「法」、権力の淵源となる「勢」という韓非子のキーポイントを明らかにして、始皇帝が惚れ込んだと云われる理由を明らかにする。

また韓非子には法家の人々がその思想を君主に受け入れて貰うための説得術も書かれており、これらを具体的に説明するため多数の説話が使われ、この中から矛盾(むじゅん)、逆鱗(げきりん)、守株(しゅしゅ)などの故事成語が派生している。

更に余談ながら守株は唱歌・「待ちぼうけ」の元になった言葉である。

時代の中で韓非や法家の理論や思想は、対立をはらみつつも儒学儒教)の中に取り込まれ、隋や唐王朝律令体制を構成する律(りつ・刑法)や令(りょう・非刑法おきて)を経て日本を含む東アジアの法体系の基本を構成することになる。

この本に図書館で出会ったお蔭で、中国の諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる多くの思想の一端にわずかに触れることが出来た。

 

🔘今日の一句

 

初秋刀魚頭も腸(わた)も失く焼かれ

 

🔘健康公園のヒヨドリ(鵯)と雀、ヒヨドリは警戒感が強く人が近づくと直ぐ逃げるが、この場合ヒヨドリ自身は木に隠れていると思っているらしく、めったに無いツーショットも偶然撮れた。

最近雀の姿を見かけるのがめっきり少なくなった。