中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密

NHKBS に「中国王朝 英雄たちの伝説」という歴史ドキュメンタリー番組があり、3000年以上の歴史を持つ中国のなかで最新の発掘成果や研究を踏まえ色々な人物像の再評価にチャレンジしている。

私は題名を見ながら選択録画して新たな事実の提示などを参考にさせて貰っているが、今回は「荒ぶる民の秘密」と題して中国歴代王朝を倒した民衆反乱を取りあげ、その代表としての三例をナビゲーターの俳優・濱田岳さんが案内する構成になっている。

秦王朝を崩壊させた陳勝呉広(ちんしょうごこう)の乱

陳勝呉広は秦の一介の兵士だったが、始皇帝の死後二世皇帝の代に秦の厳しい法制から身を守る為反乱を起こしたとされて来たが、最新の研究では、その背景に以下の2点があると考えられている。

・伝染病の蔓延による民の疲弊

始皇帝が実行した実力主義が二世皇帝で否定されその不満が起点になった。

陳勝の言葉 王侯将相いずくんぞ種あらんや(王侯や将軍、宰相は家柄によるのではなく実力によるものだ)

北宋(ほくそう)衰退の起点になった方臘(ほうろう)の乱

従来方臘は賊の首領と云われていたが、北宋の地方官僚の圧政に耐えかねた末の反乱だとの当時の石碑が見つかった。その背景は、

・官僚となるための難関・科挙(かきょ)には莫大な費用がかかり、官僚に登用されるとその回収をもくろみ、地方に無理な要求をし私腹を肥やす風潮があった。

・文治主義がはびこり異民族に財を渡す慣習から地方を収奪、都と地方の格差が増大した。

③清(しん)末期、扶清滅洋(ふしんめつよう・清を助け西洋を滅ぼす)を掲げた義和団の乱

旗印の扶清滅洋が示すように、これまでの王朝に対する反乱とは全く異なり救国のため外敵を撃つための民衆反乱で、一時清朝義和団は手を結び外国勢力に対抗した。

・この時期地球上に残された最後の植民地として日本を含む列強が中国に群がり利権を漁った。

周恩来の言葉「百数十年中国人民は帝国主義国家の侵略抑圧略奪虐殺を被って来た。1900年の義和団運動はまさしく中国人民が帝国主義の侵略に頑強に反攻したことの表れである」

🔘中国古典「貞観政要」に 君(王侯権力者)は船なり人(民)は水なり、水能く船を載せ亦(また)能く船を覆す という言葉があり広く知られているが、まさしく民衆反乱を言い当てている気がする。

これに対する権力者の恐怖は現代でも随所にみることが出来る。

🔘今日の一句、蒲公英(たんぽぽ)は本来春の季語ですが、今道端は黄色い蒲公英が列を成しています。

 

蒲公英を数へて行けり歯の治療

 

🔘歯医者へ行く道沿いの民家のカンパニュラ・アルペンブルー