「昭和海軍に見る日本型エリート」

月刊誌・文藝春秋5月号の特集の目玉は小池都知事学歴詐称に関する記事だが、余り目立たないながら特集のもうひとつが「昭和海軍に見る日本型エリート」というテーマで、昭和史研究家・保阪正康、元自衛隊統合幕僚長・河野克俊、海軍研究家・戸高一成サントリー社長・新浪剛史、一橋ビジネススクール教授・楠木健の各氏が昭和海軍の将帥を縦横に論じるものである。

冒頭の総括的な発言で、巷で一般的に言われている陸軍=悪玉、海軍=善玉論を出席者が大筋で否定し、戸高氏が「海軍は悪い、陸軍はもっと悪い」と取りまとめているのが印象的で、太平洋戦争開戦に至る「なぜ?」をかじった身からすると妥当な総括だとうなずける面がある。

人物論は多岐にわたり、日露戦争日本海海戦の生き残りで大正時代の海軍軍縮の当事者加藤友三郎、島村速雄などから始まり、終戦時の首相・鈴木貫太郎(海軍大将)まで15人が俎上にあがっている。

この中で特に興味深く読んだのが、「コミュニケーション不足の指揮官」という副題を付けて、開戦時真珠湾攻撃の総指揮をとった連合艦隊司令長官山本五十六とその部下で航空母艦を中心とする機動部隊を指揮した南雲忠一を論じた部分である。

南雲中将は真珠湾第一次攻撃が戦艦撃沈を中心とする大戦果をあげると、基地施設や空母を探しての反復攻撃をせずに帰投した。またミッドウエー海戦の際は敵機動部隊の撃滅よりミッドウエー島占領を優先し、航空母艦4隻喪失惨敗のきっかけを作ったとして批判されている。

山本五十六大将(戦死後元帥)は真珠湾攻撃を成功させたとして名将としての世間の評価は高いが、敵空母を取り逃がし、後方施設を叩くための第二次攻撃を怠った南雲を叱責もせずそのまま使い続け、ミッドウエーの敗戦を招いたとしてこの場では批判の対象になっている。

特に山本と南雲との間には密な会話や行動がなく、自分の意図と違った行動をとった部下に対し叱責することもなく、作戦目的の完遂に向けての行動の不足や人事の厳しさの不足が挙げられていてとても興味深い。

私も今まで色々な関連書籍を読んで来て日米開戦は完全な誤りだったと思うが、開戦した以上日本にとって本当に極めてごく僅かな機会があったとすると、真珠湾攻撃を反復し空母を含む米国艦隊を再起不能まで叩き、欧州とは一線を画して早期の単独講和に持ち込む道しかなかったのではないかと想像するのだが。

そういう意味で山本-南雲ラインの真珠湾とミッドウエーは大きな戦訓を日本に残していると思える。

🔘今日の俳句

 

葉桜や人は見ずとて青究め

 

葉桜や枝先ゆけば色淡し

 

🔘施設の庭の隅でひっそりと、オオムラサキツユクサ(大紫露草)