1月11日の続き
「北京の歴史」に織り込まれているエピソードの中で日本人に比較的馴染みがあると思われるものを2回に分けて書いておきたい。
①「隗(かい)より始めよ」
古代、北京の辺りは燕(えん)国と呼ばれていたことは既に書いたが、燕は当時の辺境にあることから国力が振るわなかった。第39代昭王(在位紀元前311~279)は改革を志し先ず有能な人材を招こうとして部下の郭隗(かくかい)に相談した。
郭隗曰く「人材を招こうと思われるなら先ずこの郭隗からはじめてください。自分のようなものでも優遇されるなら優れた人物が集まるでしょう」
昭王は郭隗に立派な宮殿を用意するなど厚遇したところ天下の人材が集まり、燕は戦国七雄のひとつといわれるまでになった。
遠大なことでも身近な事から始めよとの意である。
②刺客・荊軻(けいか)
戦国末期、七雄のひとつ秦(しん)が強大になり他国を次々に併呑していった。燕の太子・丹はこれを恐れ秦王を暗殺すべく刺客として荊軻を頼む。
断りきれず引き受けた荊軻は秦の王宮に赴くが、丹の付けた従者のせいであと一歩のところで失敗、殺される。
秦王の怒りは激しく燕の都城を攻め落とす。燕王と太子・丹は逃れたものの、燕王は秦王の怒りを静めようと太子の首を献上するが許されず、燕国は紀元前222年滅亡する。
このときの秦王・政が最初に中国を統一したといわれる「秦始皇帝」である。
「史記」に記された刺客・荊軻が秦に赴く際に詠ったといわれる詩はあまりに有名で、以前2020年7月15日のこのブログに「刺客・荊軻、易水(えきすい)の歌」として書いたことがある。
風 蕭々(しょうしょう)として易水寒し
壮士一たび去って復(ま)た還(かえ)らず
尚、易水は現在の北京市の南側を流れる川である。
🔘今日の一句
被災地を避けて通れよ冬の雲
🔘施設介護棟の屋上の蝋梅(ロウバイ)が寒い中少しずつ花を咲かそうとしている。きれいな満開はまだまだ先のようなのだが。