「退いて後の見事な人生」新井白石(あらいはくせき)

童門冬二(どうもんふゆじ)著「退いて後の見事な人生」祥伝社刊 を読み終えた。著者は東京都庁に勤めた後歴史作家に転身した人物で、TVの歴史番組などのコメンテーターとして見かけることがある。

著者は、自分も含めた現代の「隠居力」を起承転結ではなく起承転転と表現しその意味を、退いて後も現役時と変わらず探究心を失わない気概に求め、日本史の中からこのような生き方を実行した人物・八人を紹介している。

八人は新井白石黒田如水(くろだじょすい)、徳川斉昭(とくがわなりあき)、古田織部(ふるたおりべ)、松平宗衍(まつだいらむねのぶ)、松居遊見(まついゆうけん)、伊能忠敬(いのうただたか)、鴨長明(かものちょうめい)である。

ここでは最も興味を覚えた新井白石(あらいはくせき)について少し書いておきたいが、この本を読むまでは名前と一部の業績を知るのみであったが、読んだお蔭で人物の輪郭が私にもかなり理解出来てきた気がする。

簡単にそのプロフィールを紹介すると、

・上総(かずさ・千葉県)生まれの江戸時代の儒学者

甲府藩主・徳川綱豊に仕え、綱豊が六代将軍・家宣(いえのぶ)になるとそのまま幕臣となり家宣及び七代・家継の最高ブレーンとして幕政改革を進めた。

・この時期の改革は年号をとって「正徳の治」と呼ばれ、武家諸法度改正、朝鮮通信使の対応改革、長崎貿易の改革、通貨改鋳の見直し、外国情勢の把握と周知などがある。

・改革が急進的であったこともあり、家継が亡くなり跡を継いだ八代・吉宗から罷免され家や書籍を取り上げられるなど全てを失う取り扱いを受けた。

・隠居後に現在まで極めて評価が高い「折りたく柴の記」を書き著す。

著者はこの「折りたく柴の記」が、白石自身の家のことを振り返る自叙伝でありながら、実は参与した「正徳の治」の内容に細かく触れ、徳川政治史の一端を告げると共に、自身の辿った道を改めて検証する書になっていることを大いに評価している。

特にその内容が客観性に満ち自己陶酔が少なく、現役時代の正確な検証が出来ており、その「隠居力」を大いに認めており、この本の冒頭に新井白石を置いたようである。

著者は「折りたく柴の記」というタイトルは、「承久の乱」を引き起こしたとして鎌倉幕府隠岐に流された後鳥羽法皇の歌から採られたと書いている。

  思いいづるをりたく柴の夕けぶり   むせぶもうれし    わすれがたみに

個人的見解ながら(折り焚くという)このタイトルに法皇の歌を重ねてみると白石の微妙な感情が読み取れるような気がしている。

「正徳の治」のひとつ、朝鮮通信使の対応改革は以前、日経新聞に連載された作家・辻原登さんの小説「韃靼(だったん)の馬」で取り上げられており当時面白く読ませてもらい新井白石の名前も記憶に残っている。

🔘施設介護棟屋上庭園の、キンギョソウ(金魚草)