「真田松代(まつしろ)藩の財政改革・日暮硯(ひぐらしすずり)と恩田杢(おんだもく)」

笠谷和比古(かさやかずひこ)著「真田松代藩の財政改革・日暮硯と恩田杢」吉川弘文館刊 を読み終えた。

恩田杢(木工・もく)という人物については小説の分野で、真田太平記など一連の真田もので著名な作家・池波正太郎さんの「真田騒動 恩田木工」という作品がある。

また著者の笠谷和比古氏は歴史家で、私が一時通っていた大阪の朝日カルチャーセンターで戦国時代などに関連した一連の講義を受けたことがある。

この場合の真田松代藩とは有名な真田幸村の兄で父や弟と袂を別ち、徳川家康に臣従した真田信之(のぶゆき)を藩祖として、当初真田一族ゆかりの信州上田6万石を領していたがその後同国松代10万石に転封された。

江戸時代中期になると米経済から貨幣商品経済に変わるなかで、年貢米を唯一の収入とする多くの藩は米価と生活費の乖離に苦しみ財政が立ち行かなくなる。

この財政改革に各藩が取り組むなかで失敗と成功の事例が生まれるが、信州松代藩の家老職・恩田杢が取り組んだのは成功事例のひとつで、その改革過程が聞き書きの形で第三者によって書き残されているのが「日暮硯」という史料である。

著者はその「日暮硯」を読み解いて恩田杢の改革が

・月割り金納制という年貢納入システムの導入

・領民との合意形成

・率先垂範、役人の綱紀粛正、文武の奨励

などにあり松代藩固有の条件を加味した改革であったことを解明している。

またこの中には他藩の改革の成功事例失敗事例にもその原因と共に触れられている。

著者はあとがきの中で、現在の日本の1000兆円を超える国債残高にも触れ、目に見える改善行動に踏み出して行かなければならず、国民を含めた全ての当事者が痛みを分かち合うことが必要であり、この時にあって恩田杢の行った改革の今日的な意義が決して小さいものではないと述べている。

 

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🔘施設の庭 イヌバラ

最近、介護棟の園芸担当の方からGoogleの画像検索の方法を教わり、以前に比べ格段に植物の名前調べが易しくなった。これも画像検索したもの。