福島正則「弓は袋へ」

加藤廣(ひろし)著「戦国武将の辞世・遺言に秘められた真実」朝日新書 を読み終えた。
「最期の言葉にこそ、本音が宿る」として武将たちが遺した辞世の句や遺言状など一生を締めくくる言葉を集めたエッセイ集である。

著者は金融界や企業コンサルタントで働くかたわらで歴史小説信長の棺」など多数を発表している。
ここで取り上げられている人物は浄土真宗中興の蓮如上人や細川ガラシャなど戦国武将を含め27名である。

この中で私の心に残った一つが、豊臣秀吉子飼いの武将・福島正則徳川幕府に仕掛けられた罠で改易(かいえき・取り潰し)に追い込まれた時の言葉

「弓を見よ、敵あるときは重宝云うべからざる、
 治国なれば袋にいれて土蔵に入るなり。
 我は弓なり、乱世の用なり。
 今治世なれば、川中島の土蔵に入れらるるなり。」
(川中島は改易後の配流地の近く)

中国のことわざに「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」とあるがまさしく用済みになったものがお払い箱にされる運命は古今東西共通のものかもしれない。

福島正則は秀吉、ねね夫妻に子供同然に育てられ、賤ヶ岳七本槍の一人に挙げられるなど軍功を重ね出世したが、秀吉死後、反石田三成の立場から、関ヶ原で東軍に参加して勲功第一、結果的に徳川家康の天下取りを助けた。
その功で広島49万8千石の大々名に封じられるが、その経歴を徳川氏に疎まれ秀忠時代に城の無届け修復を理由に領地没収、配流となる。

実はこの言葉は初めての出会いでなく、歴史小説家・白石一郎さんに「弓は袋へ」という短編小説がある。
このときの福島正則を描いた作品で数十年前に読んだ記憶がよみがえり、苦心惨憺してその文庫本を戸棚から探し出した。
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福島正則は民謡「黒田節」で吟われた、
♪︎♪︎酒は呑め呑めー呑むならば 日の本一のこの槍を呑み干すほどに呑むならば♪︎♪︎
と黒田家家臣・母里太兵衛に酒を強要した話など、酒乱の逸話がある。

また徳川家の正史「台徳院(秀忠)殿御実紀」には
〈福島左衛門太夫正則 この人資性凶暴にして軍功を誇り 云々ーーー〉などとあるが、あくまで勝者側からの記述であり、先の改易になった時の達観した言葉から見ても割り引いて見ておく必要がある。

福島家ではこの改易騒動に当たり天下に名を遺した。

正則本人は江戸に留め置かれたままで江戸から広島に城受け取りの使者と軍勢が出向いた。

迎えた福島家では家老一同が揃い、
「城は主人の正則から預かったもので、主人の指示がないと開城できない、一戦もやむなし」と突っぱねた。
使者は江戸へ使いを立て正則の書付けを届けさせて無血開城にこぎつけた。

城は隅々まで整理され、掃除も行き届き見事な引渡しであったと伝わる。
正則が部下の人心を掌握していたことは間違いない。

◎近所の桜は開花がもうすぐ、つぼみが膨らんできた。
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