下駄とコーヒー

日経新聞の最終面・文化欄の4分の1を使い、詩人・平田俊子さんのエッセイが掲載されており興味をもって読み終えた。

「下駄とコーヒー」と題して寺田寅彦が、正岡子規を初めて訪ねた時のエピソードと自分の身の周りの事などをからめて綴ったエッセイである。

寺田寅彦は熊本五高時代の夏目漱石の教え子で物理学者と文学者の双方の資質を持っており、有名な「天災は忘れた頃にやってくる」は彼の言葉だと言われている。

2月16日のこの日記でも書いたように漱石は子規と親友の間柄で、東京根岸で子規が脊椎カリエスを療養する自宅「子規庵」を漱石の紹介で寺田寅彦が訪れる。

平田さんは寺田寅彦が残した「根岸庵を訪(おとな)う記」「初めて正岡さんに会った時」や子規の「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」を読み込んでその時のことを2つ書き出している。

①下駄
寅彦が子規庵を訪れた際に、「玄関にある下駄が皆女物で子規のらしいのが見えぬのが先ず胸にこたえた。外出と云う事は夢の外ないであろう」
「玄関には下駄がいくつもあるが男のは一つもなかった」
と書いた。

平田さんは自分の父親が死んだときに慌てて駆けつけた実家の下駄箱の情景と重ね合わせ、当時布団から起き上がることもままならない子規の病状と寅彦の心情に想いを馳せている。

☆玄関を入ったときに見る履き物の状況でその家のことがかなり分かってしまう事は誰しもあるに違いない。

②コーヒー
子規庵で寅彦はコーヒーをごちそうになり、そのことも書いた。
「話半ばへ老母は珈琲を酌んでくる。子規には牛乳を持ってきた」
「御母(おっか)さんがコーヒーを出してこられた。正岡さんには牛乳を持ってきた」

平田さんは子規の書いた「仰臥漫録」には毎日のように牛乳を飲んでいることが書かれているが、コーヒーを飲んだという記述は見たことがないし、正岡家に当時コーヒーが有るのが意外で、食い意地の張った子規にはご馳走を用意しても、自分たちは粗末なものを食べていた母や妹の律(りつ)が自分たちのためにコーヒーを買ったとは思えず、その出所をアレコレ想像している。

☆子規の妹・律さんはNHK司馬遼太郎原作「坂の上の雲」を制作放送したとき、女優・菅野美穂さんが演じてはまり役だったが、脊椎カリエスで苦しみわがままになった子規を、母と共に最期まで献身的に介護すると共に、俳句の弟子や友人など子規を訪ねて来る多数の人たちのために応接に当たった。

☆子規の病臥する部屋は小宇宙を形作ったとよく例えられるが、その宇宙を支えていたのは献身的な母や妹であった。
☆私の好きな正岡子規の俳句
 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

◎近所のシダレ桜が咲き始めた。
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