墨守(ぼくしゅ)

コロナウイルスの第7波が来ており、現役時代の同僚と会う約束を延期させてもらった。
そんなコロナの状況下、日経新聞一面のコラム「春秋」で以下のような「墨守」に関わる話が載っており少し長いが引用させてもらう。

墨守という言葉にもともと否定的な意味はなかったらしい。古代中国の思想家墨子が楚の攻撃から宋の城を守り抜いた故事にちなみ、守備がとても固いことを指していた。それがいつの間にか旧習にこだわるばかりで融通がきかない様子を言うようになった。
日本の新型コロナ対策はこの成句の二つの意味を併せ持っていようーーーーー】

欧米に比べ発生状況は下回るものの、コロナ対策がなかなか決定的でなく経済回復が思うように進まない苛立ちが文章に表れている。

墨子(ぼくし)は中国の春秋戦国時代に現れる諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる学派思想家の一人で、儒家儒教が家族や目上への片寄った愛を説く学派だとしてこれに異をとなえ平等な愛・博愛を説く。

この上に立った「非攻」という思想が特徴で、他国への侵攻を否定する。ただひたすら防衛することに心を砕き、このための土木などの工学技術と人間観察で守城のための技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して教えを実践したとされる。

(しかし司馬遷(しばせん)の「史記」にも墨子について以下の記述のみでその学派も途中で絶え不明な点が多いとされる。)
【蓋(けだ)し墨翟(ぼくてき・墨子)は宋の大夫(たいふ・身分名)にして、善く守禦し、用を節するを為す。或ひと曰く、孔子の時に並ぶ、と。或ひと曰く、其の後に在り】

施設のライブラリーにあった古い「中国故事事典」河合書房刊 によると「墨守」は大国・楚が小国・宋の侵略を考えた際、墨子自身が楚の王や謀臣と直接対峙して宋を守り抜いたことに由来する熟語とのことで「春秋」に重なる。

「攻撃は最大の防御なり」という言葉があるようにひたすら守るというのは余程の準備、信念、求心力、必要な技術と器材(武器)等々が必要になり日本国憲法専守防衛が揺らいでいるのと重なる。

コロナ対応はここまで来ると個別の技術的な対応をどうこうするより、対応のための基本思想と国民的な合意形成を原点に帰って確立すべきではないかと思う。

🔘施設の庭シリーズ

どうやらカマキリの子供らしい