戯曲・「鬼灯(ほうずき)ー摂津守(せっつのかみ)の叛乱ー」

空海の風景」が載っている司馬遼太郎全集第39巻には巻末に司馬遼太郎作品では極めて珍しい戯曲2編の内のひとつ「鬼灯ー摂津守の叛乱」が載っている。

司馬さんの戯曲は今まで芝居を観たことも無いし読んだことも無かったが、興味を引く対象でもあり、何やら土地の縁もありそうで面白く読ませて貰った。

戦国時代に関心がある人には広く知られている織田信長の軍団長の一人・荒木村重を扱ったもので、この作品は文学座の依頼で書かれ、昭和50年(1975)に高橋悦史さん、杉村春子さん等により初演されたようである。

以前から荒木村重については非常に不可思議な人物として記憶にあるが、以下その経歴を司馬さんの『「鬼灯」創作ノート』をベースに簡潔に記すと、

・一僕から身を起こし摂津の豪族・池田氏の家臣を経て織田信長のもとで摂津国(せっつのくに・大阪府北西部と兵庫県東部)の国主。

・配下に何れも摂津を地盤とする、キリシタン大名高山右近、豪勇で知られた中川清秀等がいる。(余談ながら現在日経新聞に連載中の作家・諸田玲子さんの「登山大名」で描かれる豊後国(ぶんごのくに・大分県)・岡城主中川家はこの清秀を家祖とする)

・村重は信長との関係で疑心暗鬼が募り、毛利氏や本願寺を頼んで挙兵、伊丹城有岡城)に籠城する。

・毛利や本願寺の援軍は来ず、村重は単身尼崎城に脱出、信長は尼崎開城を条件に伊丹城の千人前後の女子供の助命を伝えたが、村重はこれを拒否して逃亡、この為伊丹城の女子供は村重の妻子を含め全て殺された。

・村重は本能寺の変まで逃亡を続け、変後かつての同僚・羽柴秀吉に拾われ、その御伽衆(おとぎしゅう・話し相手)の一員として世を送り、利休門下の代表的茶人のひとりとして数えられる。

通常の感覚で捉えると倫理的、精神的な極限状態を越えている話になるが、戯曲は叛乱から籠城を経て一族郎党を見捨てて逃亡図る一連の心理を、関係ある人物とのやり取りや独白のなかで描いて行く。

私は荒木村重が妻子や一族郎党を見捨てて逃亡するまでは知っていたが、その後秀吉の御伽衆として生き長らえたことは知らず今回の読書で始めて知ることになった。

司馬さんの文章のせいではないが、戦国の一断面の何とも云えない後味の悪さが尾を引く内容を含んでいる。

🔘今日の一句

 

隠れ田に引き寄せられて毛見(けみ)となる

施設のある場所から坂道を南へ下りると誠に小さな田んぼに稲が植わっている。毛見とは昔、年貢高を決めるため役人などが田の出来を検分することで秋の季語になっている。農家の生まれなので田んぼを見るとついその出来が気になる。

🔘園芸サークルの畑、暑さも何のその、ポーチュラカ