「空海の風景」②

作家・司馬遼太郎さんが生前自ら最も好きな著作と呼んだ長編「空海の風景」をようやく読み終えた。

ようやくの意味は二つ有り、前回のブログに書いたように若い日に読みかけて途中で「密教」の意味にこだわり挫折してしまったこと、もうひとつはこの位の分量であれば通常2~3日もあれば読み終えると思うのだが約1週間位かかってしまったことにある。

もともと無宗教無信心と自己分析している身からすると、ここに書かれてある密教顕教を始めとする仏教関係の記述の理解にはついていけず、特に前半部分で行きつ戻りつしている間に時間が経ってしまった。

これを乗りこえ読み終えることが出来たのは、

・この作品中の主なストーリーのひとつが、遣唐使から帰国後の空海最澄(さいちょう・伝教大師天台宗を創始)の関係だが、空海が持ち帰った密教経典を最澄が借用を申し出、それを最初の内空海は快く応じていたが、最も重要な「理趣経(りしゅきょう)」に至って強く断る。

・それは最澄密教を知的に把握出来るものと考え、経や書物を通じて理解しようとしていたことに対し、密教は師のもとで動作、言葉、思惟によって自分を仏という宇宙に近づけることに核心があるとする空海の考えに、大きな断絶があることに空海自身が気付いたからだとされる。

即ち密教を、書かれているものからだけで理解しようとすることには所詮無理があり、この部分に深く立ち入ることをせず、歴史的事実として空海の風景を眺めることしかないのだと納得、この事によって私自身の通常の読書に立ち返ることが出来、最後まで読み通すことになった。

真言密教独特の所作、あるいは派生している山岳信仰四国八十八か所巡りなどの巡礼行、私の故郷にも残る民間の大師信仰なども、知識というより行動そのものとして理解すべきという気もしてきた。

(読み終えて、この事は程度の差はあれ宗教全体にも当てはまるような気もしている)

司馬さんはこの著作のなかで、題をことさら「風景」としたのは、「空海の時代が遠きに過ぎると思ったからで、かれが存在した時代の風景をつぎつぎに想像していくことによってその風景のなかに点景としてでも空海が現れはしまいかと思った」と述べている。

またあわせてこれは小説であると自ら断っている。

私は読み終えて、これは小説ではなく歴史研究か歴史エッセイではないかと思うと同時に、空海が考え体系化した宗教としての内面は相変わらず全く歯が立たなかったものの、歴史的側面のごく一部分の点景くらいは覗き見えたかなという気がしている。

🔘今日の一句

 

畔豆(あぜまめ)の記憶仄かに木綿味

(木綿豆腐の冷奴を食べると大豆の味がする。私の子供の頃故郷の厚狭では多くの田んぼの畔では大豆を植えて育てていた。畔を強固にすることと、その大豆で味噌などを作ることが目的だった。このように何かの拍子に昔の故郷の記憶が飛び出して来る)

🔘施設の園芸サークルの畑、オクラの花、野菜の花のなかでオクラは観賞用としても充分通用する存在感がある。

オクラは個人毎に2株ずつ分けられていてもう2回収穫した。