文藝春秋八月号の特集「現代の知性24人が選ぶ代表的日本人」で複数の人から名前が挙がっている人物を見ると、和算・関孝和、源氏物語・紫式部、古事記伝・本居宣長、最後の将軍・徳川慶喜、真言密教・空海などである。
個人的には鳥羽・伏見の戦い後大阪城から敵前逃亡した徳川慶喜以外は納得するものがある。
その複数の人から挙げられたもう一人が唯一の現代人で、元国連難民問題高等弁務官の緒方貞子さんである。
緒方さんはジャーナリストの国谷裕子さんが「寄り添う心と変革の力」という切り口で、住宅機器メーカーLIXIL社長・瀬戸欣哉さんが「原型をつくる」という切り口でおのおの代表的日本人として挙げておられ全くその意見に賛同している。
ニュース映像で度々見かけた、小柄な姿であるときは国連職員や各国の要人を従えて、またあるときは防弾チョッキを着用して難民の子供達と接しておられた姿は記憶に残っている。
資料によると緒方さんが世界120ヶ国で約5000人の部下が活動するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のトップに着任されたのは1991年のことでそれから十年間激務をこなし国際的な評価を高められた。
今から30年前というとまだまだ女性の社会的進出に大きな障害があった時代である。
何より私が素晴らしいと思うのは国谷さんのインタビューに出てくる、
ユーゴスラビアの民族紛争で、停戦合意がないなかサラエボの現場に救援物資を届けるためにこれまでの人道支援では異例の、軍に協力を求め大規模な空輸作戦を実行した時の言葉、
「自分の力ではどうにもならない、軍事力を持っている者のサービスを使うのです」
「私は人権屋ではなくリアリスト」
人権活動や人道支援、難民支援などを行う人のなかに有りがちな思想や理論などを優先することを排し、リアリズムに徹するという考えが確固として見受けられ、これが利害が錯綜する各国の中でリーダーシップを発揮できた大きな要素だったと思われる。
女性という枠を越え日本人として世界に影響を与えた人物のひとりと思える。また難民高等弁務官に就いた時点で既に60歳であったというのはこれからの時代の先駆者とも云え大いに尊敬出来る。
🔘一日一句
見た刹那口中渋き青い柿
🔘施設の庭の奥、青柿が実っているのを見つけた。もう立秋を過ぎたのを実感する。田舎ではこんな形の柿が沢山実っていた。熟して行く変化を観察してみたい。