カルタゴの英雄ハンニバル②

3月20日の続き

象と一緒にアルプスを越えてイタリアに着いたハンニバルの勢力は、出発時の4分の1 26000人まで減っていたが、苦難に耐えた精鋭のみが残ったとも言え、これを中核に、ガリア人など反ローマ勢力を糾合してローマ軍に戦いを挑む。

ハンニバルはここから優勢なローマ軍に対し、戦術を駆使して連戦連勝しながらイタリア半島を南下していく。その戦いの基本は、
・ゲリラ戦も使いつつ、本格的会戦では常に相手を包囲して退路を遮断する。
・ローマ本国の市民兵には容赦しないが、同盟国からの動員兵には温情を与え、味方や兵糧を確保する。

その典型例が現代までも各国軍隊の戦術教育の手本として使われている紀元前216年の「カンナエ(カンネ)の戦い」である。
ローマ軍コルネリウススキピオ指揮下87000人、カルタゴ軍50000人

まずハンニバルは自ら囮となって中央から押し出す。
それを見たローマ軍が中央に兵力を集めた隙を衝いて左右から騎兵が回り込んで包囲殲滅した。
このときの死者ローマ軍50000~70000人ほぼ全滅、カルタゴ軍5000人、戦史に残るハンニバルの完勝で戦術家としての名声も確立、「ローマが最も恐れた男」になる。

ハンニバルは首都ローマをあえて攻略せず戦いながら南下を続け、本国からの補給やローマ同盟国の寝返り支援を期待して半島の南で持久戦に入る。

ハンニバルに連戦連敗のローマは事態を打開すべく、カンナエの敗戦で指揮官を勤めた人物の息子スキピオ・アフリカヌスを登用する。

スキピオハンニバルが不在の場合のカルタゴ軍は意外にもろいことを突き止め、イタリア半島でのハンニバルとの直接対決を避けて備えだけに留め、カルタゴの植民地や支援国を掃討すると共に、自ら軍を率いてアフリカに渡りカルタゴ本国を攻撃する作戦に出る。
この発想の転換が結果的にローマを救うことになる。

このままでは危うくなったカルタゴ本国では、休戦協定のためにやむ終えずイタリアでの辛苦の戦果を放棄して、ハンニバルを本国に呼び戻す。

以下次回に。

◎歩きの道端、木の下に咲いている黄色い花はタンポポの仲間のようだ、図鑑を見るとタンポポにも色々な種類があるようで特定が難しい。
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