「金子みすゞ・魂の詩人」

NHKEテレに「100分de名著」という番組があり、先日「金子みすゞ詩集」が本来25分刻みで4回に分けたものを100分連続で一挙に再放送された。

この放送がされていることを中学同級生のグループLINEで連絡があり、放送後も同郷の詩人として話が盛り上がっていた。

以前NHKスペシャル「こころの王国~童謡詩人金子みすゞの世界」を視聴し、詩集も読み、「金子みすゞ記念館」も訪れたことがあるが、LINEのやり取りからもう一度金子みすゞのことを読み返そうと思い、図書館に行ったついでに何冊かあった関連本のなかから選び出してきたのが「金子みすゞ・魂の詩人」河出書房新社刊  である。

金子みすゞの有名無名の童謡詩に関連し、数十人の詩人、小説家、作曲家、エッセイストなどが文章を寄稿されており広範囲の人々の心に受け入れられていることがとても良くわかる。

また実の娘である上村ふさえさんが長時間のインタビューに答えられている記事は初めて知る内容も多く記憶に残る。

私の故郷・山口県厚狭は山陽新幹線山陽本線から美祢線が別れる分岐点に当たり、この美祢線の先に日本海に面した金子みすゞの故郷・長門市仙崎がある。

詩人の筏丸けいこ氏が「ふるさとのむこうにあるもの」と題して仙崎への紀行文を載せられているが、文中に新幹線、山陽本線美祢線を乗り継いで東京から仙崎へ行ったと書かれており、筏丸さんはどうやらわが故郷厚狭を経由されたらしい。

沢山ある掲載記事の中から私の最も気になった部分は、金子みすゞの唯一の師である詩人・西条八十(さいじょうやそ)がエピソードとして有名な、初めてで最後になる下関での面会を回想した文「下ノ関の一夜・亡き金子みすゞの追憶」で以下その肝心な部分。

『~夕ぐれ下ノ関駅に下りて見ると、~ようやくそこのほの暗い一隅に、人目を憚るように佇んでいる彼女を見出だしたのだったが、彼女は一見二十二三歳に見える女性で、とりつくろわぬ蓬髪(ほうはつ・伸びて乱れた髪)に普段着の儘、背には一二歳の我児を負っていた。~~~「お目にかかりたさに、山を越えてまいりました。これからまた山を越えて家へ戻ります。」と彼女は言った。~~~逢っては寡黙で、ただその輝く瞳のみがものを言った。~~~かくして私たちは何事も語る暇もなく相別れた。~~~』

🔘この文章を読むと、薄幸詩人とも言われる金子みすゞの〈時間を厭わず我が子をおぶって単身山を越えて師に面会のためにやってくる〉その詩にかける思い入れの深さ熱意が伝わって来るような気がする。この必死さがあの詩を生んだのだとその背景を思いつい涙が出てしまった。

 

【児等皆が草餅取りて残る白 】

 

🔘健康公園雑草ではないシリーズ、アメリカフウロと思われる。