小林清治著「伊達騒動と原田甲斐」吉川弘文館刊を読み終わった。
8月4日のこのブログに福島県桑折(こおり)産の桃のお裾分けのことを書き、この地を治めた桑折氏の縁者の一人が原田甲斐であることにも触れた。
俗に江戸時代の三大御家騒動のひとつ仙台伊達藩62万石のいわゆる伊達騒動は、歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で広く知られ、ここに登場する大悪人・仁木弾正(につきだんじょう)は仙台藩重臣・原田甲斐がモデルとされる。
(三大御家騒動の残り二つは福岡藩・黒田騒動、金沢藩・加賀騒動)
一方作家・山本周五郎が昭和33年に出版した長編小説「樅(もみ)ノ木は残った」もこの伊達騒動を題材にし、NHK大河ドラマ化され主人公・原田甲斐は身を捨てて主家を守った大忠臣になっている。
この本は歴史家の立場で、巷に流布する伊達騒動から離れ、史料や過去の文献を読み込み検討し直すことで伊達騒動の真実に迫ろうとするものである。
伊達騒動は万治3年(1660)3代藩主・伊達綱宗が、不行跡や朝廷との関係を幕府や藩の重臣達に疎まれ逼塞(ひっそく)・隠居処分となり、その跡を2歳の亀千代(綱村)が継いだ為藩内が混乱したことに起因している。
この混乱や政治の不正を重臣の一人が幕府に訴え出たため、江戸の幕府老中邸で事件の審理途中、当事者の一人・原田甲斐が訴人に刃傷に及び、原田一族や藩主後見人を含む執政者が処刑や処分を寛文11年(1671)に受けて落着したもので、仙台では寛文事件と呼ばれている。
著者は丹念に史料を読み込むことで原田甲斐は従来の悪の首魁や大忠臣でもなく、立場上幕府の取り調べの矢面(やおもて)に立たされ、進退極まり訴人に刃傷に及んだ人物と結論つけている。
また著者は騒動の具体的な様相を丹念に検討するなかで、多岐多様な登場人物達の対立抗争が、藩政の集権的な強化を進めようとする藩主(後見人)側近の藩政担当者と、一定の保守的な自立性を保ち続ける家臣団との対立抗争であることを解きほぐしている。
またこの背景には、参勤交代、幕府普請手伝いなどによる財政危機を打開するための家臣団への負担転嫁で、家臣団の困窮や不満が無視出来ないほど高まっていたことが挙げられている。
🔘今日の一句
赤とんぼ龍野近くにはや二年
🔘施設の介護棟の屋上庭園、ネメシア