中断中の独り言・「空海の風景」①

最近NHK でたて続けに作家・司馬遼太郎さんの「空海の風景」に材をとった番組が放送され、幸い何れも録画する機会がありようやく見終わった。

NHKスペシャル空海の風景前編 大唐渡海の夢」「後編 弘法大師への道」ー2002年制作の再放送

②こころの時代(宗教・人生)「シリーズ空海の風景前編 "天才"の旅立ち~大唐渡海の夢」「後編 密教宇宙の創造~弘法大師への道~」ー2023年空海生誕1250年、司馬遼太郎生誕100年を期して制作されたものの再放送

②は①の内容を宗教番組に焼き直したもので映像はかなりの部分で同じものを使い、司馬さんと親交のあった宗教学者山折哲雄さんや真言宗僧侶の各々の話や対話を加えて進行する。

山折さんが②の番組の冒頭、司馬さんの意図をもふまえ「その時点で世界を一変させた天才、ヨーロッパでのコペルニクスガリレオに匹敵するものを日本に求めるとするとその天才は「空海」のみである」と語る言葉は強烈なインパクトがある。

弘法大師空海のことを簡単に振り返ると、

平安時代初期の僧で讃岐国(さぬきのくに・香川県)佐伯氏の出自。

遣唐使留学僧として中国・唐に渡り密教を持ち帰り自ら体系化して真言宗を創始、高野山などを開く。

満濃池(まんのういけ・讃岐の大規模ため池)の改修に見る技術的な素養をベースに、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん・庶民教育を含む私立学校)の設置など多角的な社会事業を推進。

・多数の著作を有する傑出した文章家、平安の三筆の一人能書家(芸術家)。

・山岳修行遍歴を行った場所は、四国八十八か所に代表されるような霊場巡り信仰となり、今に至るまで受け継がれている。

・私の故郷を含む西日本一帯に広く残されている弘法大師信仰の一端は、2021年4月22日のこのブログに「おだいっさま・お大師さま」としてこのブログに書いたことがある。

番組では生い立ちから、僧となり遣唐使の一員として出帆したものの船が流され中国福建省に漂着、その秀でた語学力で、唐や日本の歴史に躍り出るところから始まる。

唐の皇帝にも名が知られ、幸運にも密教の正統な師から全てを会得し正統な後継者になる過程、帰国して密教を自ら体系化、朝廷にも認められる一連の経過が現地の風景を交え写し出される。

この一連の番組を見て、これは司馬さんの長編「空海の風景」を読み直さねばと思い、所載の司馬遼太郎全集第39巻を図書館から借り出して来た。

空海の風景」は昭和50年(1975)に初版が出ていて、私はこの上下二巻を購入して早速読み始めたが、途中で挫折してしまったことがある。

それは読む途中でどうしても「密教」というものが気になり、少しかじって見たものの少しかじったくらいで手に負えるような代物でないことが分かり、そのまま放り出してしまったことによる。

二度目のチャレンジについては字数の関係もあり次回に。

🔘今日の一句

 

秋立ちぬやり残し有り七十五

 

🔘近くのゴルフ場からフェンスを越えて道に覗く夾竹桃