司馬遼太郎「梟の城」と作家・黒岩重吾①

NHKBSでは過去の番組で視聴者から再放送の要望の高い番組を「プレミアムカフェ」と呼ばれる時間枠で再放送している。

今回は2002年放送された「名作をポケットに」という番組から司馬遼太郎さんの初期の作品で直木賞を受賞した「梟の城」が取り上げられ、その案内役で主人公・葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)の生地・伊賀を旅するのがなんと、作家・黒岩重吾(くろいわじゅうご)さんでとても懐かしい姿を見てついつい 「オオ、、」と声が出てしまった。

司馬さんと黒岩さんは共に大阪で暮らし、司馬さんや寺内大吉さんが始めていた同人誌「近代説話(きんだいせつわ)」に、サラリーマン小説で一世を風靡した源氏鶏太さんの紹介で入り、何十年にも及ぶ付き合いになったことは大阪の「本読み」の間では有名な話である。

黒岩さんと司馬さんの出会いはちょうど司馬さんがその「梟の城」を書き上げた昭和34年(1959)頃でそのときのことを番組の冒頭、黒岩さんは次のように語られた。

〈同人誌「近代説話」の会合の後一緒に食事をした際に、司馬さんは黒岩さんに「近代説話は君の雑誌だと思って書いてくれ」と言った。
同人誌はプロを目指す素人の集まりで、通常その主宰者はその雑誌にしがみつく。司馬さんはその頃から小さな世界にこもるよりもっと大きな世界へ飛び立つ気持ちを持っていた。ーーー同時代の貴重な証言。〉

本題から外れるが、黒岩さんは兵役で満州に渡り戦後苦しい逃避行を経て帰国、株で財産を全て失ったり、小児麻痺を患い3年間入院、その後大阪西成・釜ヶ崎で生活をおくる等、凄まじい生活体験がありそれが後日の作家活動に生かされていた。

番組の伊賀への旅も杖をつく姿が映っており多分小児麻痺の後遺症と思われる。

黒岩さんの前半の作家活動は、釜ヶ崎を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞されたように、実体験が背景にある病院や遊郭などを含むいわゆる「西成もの」が次々とベストセラーになり私も当時の文庫本で大変お世話になった。
黒岩さんには大変申し訳ないが当時の私は、黒岩さんは文庫本で買い、司馬さんの新作は単行本で買うと決めていた。

私が大阪で住んだのは河内八尾で国鉄関西線(現JR大和路線)沿線で天王寺が最も便利なターミナル駅であり、買い物・食事・映画などはたいてい天王寺駅周辺であった。

この天王寺の坂を西へ下ったところが西成・釜ヶ崎で、当時は夏になると騒動が起きていた時代で、西側に出掛けるのは躊躇する雰囲気があり、そんな中黒岩さんの迫真の「西成もの」でその辺りを垣間見たような気がする。

黒岩さんはその後古代史に題材を得た作品に軸足を移し「壬申の乱」を描いた「天の川の太陽」を始めとする作品群を創作されたが、百舌鳥・古市古墳群を地元とする生い立ちと併せ、ひょっとすると司馬遼太郎さんへの対抗意識もあったのかも知れない。

当時の私は黒岩さんがあの味のある「西成もの」から離れられるのが不満で疑問を抱いていたが、今思うと少し黒岩さんの心情が分かるような気がしている。

◎歩きの途中見かけた、コンクリートの隙間から頑張って顔を出す小さな花
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◎昭和52年黒岩重吾著「西成海道ホテル」講談社文庫
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