塩野七生(しおのななみ)さんの徳川慶喜への評価

イタリア在住の作家・塩野七生さんが月刊誌「文藝春秋」に「日本人へ」と題したエッセイを連載されていることは以前にも書いたことがある。

最新の新年号では前号に引き続いて『「燃えよ剣」を読む』と題して作家・司馬遼太郎さんの新選組副長・土方歳三を主人公にした小説を読んで、その内容や歴史経過をもとに感想を書かれている。

塩野さんの土方への想いは「かわいそう」という言葉に表され、汚れ役を託され降伏もままならず、古今東西歴史上数ある、ダーティワークをやらされた者はいずれ捨てられるという例のひとつと読み解いている。

五稜郭で共に戦った榎本武揚(えのもとたけあき)は投降後しばらくして明治政府に出仕するが、土方は近藤勇のように、捕らわれた後切腹も許されず斬首となった最期は耐えられなかったのだろうと書いている。

土方は自らの美意識から戦い続け死を選んだとするのが一般的な見方であるが、薩摩はともかく、池田屋事変での恨みなどからその投降を長州や土佐が赦すはずがなく自ら死地へ突入するほか選択がなかったのかも知れない。

一方ダーティワークを託した側のトップ徳川慶喜に対しては以下のように誠に辛辣である。

・司馬さんは慶喜は知識人であったと繰り返されているが、知識人であることが誇りでそのうえ朝敵になりたくないなら、大学の先生でもやっていればよい。将軍、つまり最高司令官などに就いてはならない。

・鳥羽伏見でも、江戸での彰義隊も、会津も東北も五稜郭でもまだ31歳と若い慶喜は逃げに逃げただけ。

江戸開城を巡って西郷隆盛との対決に幕府内の地位の低い勝海舟を送るに至っては総大将の資格ゼロ、敗れたとはいえ配下や江戸庶民の今後を配慮するのがトップの責務である。

等々である。

私は以前から、慶喜鳥羽伏見の戦い幕府軍主力がまだ戦力を保持しているなか、部下を放置して大阪城から江戸へ逃げ帰ったのは許されないことで、軍隊に於ける重罪「敵前逃亡」だと思っていたが、今回の塩野さんの一刀両断に胸のすく思いをしたひとりである。

🔘今日の一句

 

氏神は海神(わだつみ)なりと初詣

 

🔘近くの施設の庭、アセビの実