三木市でのゴルフと三木籠城戦

今日は、現役時代上海に駐在の折り日本料理店で夕食をご一緒して時々ゴルフ場で戦っていた異業種の知人2人と兵庫県三木市でゴルフ。スコアは目標2打未達。

残暑は厳しいが夕立に遭う事なく無事終了。帰りの高速道路、西宮名塩辺りできれいな虹に遭遇。あまりにきれいで最近これ程鮮明な虹に出合ったことがなかった。何か良いことがあるような気がする。

播磨国三木と言えばなんと言っても三木籠城戦である。

天下布武を目指す織田信長羽柴秀吉に命じて中国地方の攻略を進めた際に、東播磨を地盤とする名門豪族別所氏と衝突、別所氏が三木城に立て籠ったのを羽柴秀吉が包囲、兵糧攻めを行った戦いである。

司馬遼太郎氏は随筆集「歴史の世界から」で「別所家籠城の狂気」と題してこの戦いを論じているがこの中で自分の先祖もこの籠城戦を戦った言い伝えがあることを明かしている。

三木城は孤立のなかで2年間屈する事なく戦い続けたが頼みの毛利家援軍も来ず、糧食が尽きて草木を食い壁を食い遂に軍馬を食いなお戦った。

厚い城門が織田方に破壊され、別所家当主長治は天正八年(1581)正月、開城を決意して別所一族の切腹で士卒の助命を嘆願、秀吉は酒肴を送りこれを許した。

司馬遼太郎氏は「三木籠城の狂気とも言える高潮した精神が徳川期に入ってなおこの地に息ずき浅野長矩の潔癖な狂気を生むとともに、その家臣団のなかから赤穂義士を生んだ」と記している。

兵庫県東播磨地方では三木城の籠城戦を先祖が戦ったという言い伝えが残る家が多いと言われこの事は地域全体の誇りとして記憶されている。