最近TV新聞インターネット雑誌など色々なメディアが「chatGPT」という対話AI(人工知能)のことを話題にしている。
残念ながら私はネット上で検索して確かに公開されていることを確認しただけでまだ実際に使ったことはないが、見聞きしたところによると大規模な多国語で学習して誰でも使えるようになっており、要求すればプログラミング、音楽の作曲のようなことから大学レベルのレポート書かせることも出来、答えのレベルもそこそこであるらしい。
公開されて3ヶ月で全世界のユーザーが1億人を超えたという報道もある。
当面大学など教育機関ではレポートなどの不正利用対策を真剣に考える必要があるような状況とのことである。
マイクロソフトやグーグルもこのchatGPTを取り込んだり対抗策を用意したりして対話型AIのレベルアップや普及は時間の問題になっている。
これが行き着く先は作詞作曲、作画、企画書作り、あらゆる設計等々従来不可能とされた創造的な領域のAI化・生成系AIである
このようなことが実現可能になった背景を産経新聞の正論欄で、東洋大学の坂村健氏が以下のように解説されている。
創造的作業がAIによって出来るようになった鍵が、大量の「言葉」を学ばせると正確性が強靭になる大規模言語モデル。
chatGPTを出した研究所が研究者向けに公開したモデルはインターネットから収集された45TB(およそ数十兆文字)ものテキストデータで学習している。
間違えないAIが一般化するのは避けられない、そうするとどんな職でも10年後どうなるかわからない。
生成系AIが一般化するとするべき教育も大きく変わらざるを得ず、従来から言われている「問題を解く能力より問題を設定する能力」をという教育が最優先になる。
🔘AIの高度化も言葉の学習から始まり、これからAIに指示する場合自分の意思をAIが理解しやすいように変換するのも言葉による。
AIに関係なく従来から私は「言葉で物事を考えているのだから国語力が最優先の学習課題だ」と思ってきたが、一連の情報からAIの時代になったとしても国語や言葉の学習は普遍の基礎だと再認識している。
🔘坂村氏は正論のなかで「始めに言葉ありき」という聖書の文句を引き「言葉」が創造の原点であることを示しているとされているが、私の経験則から考えても全く同感である。
【海終わり空始まりて水の春】
🔘歩きの途中見つけたのは画像検索ではバラ科のラベンダードリームのようなのだが。