長州藩士・前原一誠②司馬遼太郎作品の中で

1月2日のこのブログに明治維新の功労者の一人・前原一誠がふるさとと接点があった事とその経歴を書いた。
その人となりを知るため、司馬遼太郎さんの作品に脇役ながら登場する際の描写を挙げさせて貰うことにした。

吉田松陰高杉晋作など幕末の長州人を題材にした作品「世に棲む日日」から
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高杉晋作が少数の同士と藩論転換の為挙兵した場面で。

『ついでながら、長州志士は詩歌のうまい者が多い。晋作が下関へ攻めこむときに幕下に松陰門下の佐世八十郞(のちの前原一誠)がいたが、雪やみ道すじに氷の張る下関市街に踏み入れたとき、【凛烈たる寒風 面まさに裂けんとす 馬蹄は踏み破る満街の氷】と詠み、晋作に示した。晋作は馬上ただ笑ってうなずいていた。』

高杉晋作は挙兵後内戦を勝ち抜き長州藩に新政府を樹立する。その後晋作はヨーロッパを視察するため藩の要職に就いた前原一誠井上聞多(馨)にその費用を要求する。

『晋作はかれが作った新しい藩政府にかけあった。この出来あがったばかりの藩政府に晋作の同志二人が要職についていた。一人は、晋作とともに功山寺前の雪を蹴って下関にむかったクーデター部隊の参謀佐世八十郞である。のちの名は前原一誠、かれは用所役右筆(ようしょやくゆうひつ)という藩主の政治秘書といった職につきおもに藩の上士の鎮撫と統御に専念している。~~~

前原一誠は故松陰の門下では、晋作とともにただ二人の士分階級の出身であった。一誠はのち、維新政府の腐敗に不満をいだき、参議の職をなげうって故郷に帰り、いわゆる萩の乱の首魁(しゅかい)になった。』

◎幕末、越後長岡藩執政として官軍に抵抗した英傑・河井継之助を題材にした作品「峠」から
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前原一誠は長岡藩と戦う官軍参謀として北越に来て官軍総帥の公卿・西園寺公望(さいおんじきんもち)に対面する。

前原一誠も江戸から北越にやってきた。前原もおなじく吉田松陰の門人で、多士済々といわれている松下村塾門のなかにあっては才略という点で他にゆずるにしても、人柄のよさはおそらく抜群であったであろう。前原は上陸してすぐ西園寺に拝謁し「大変なことがおこりました」といきなり暗い情報を伝えた。前原はいつの場合でも悲観論者であった。かれがもらしたのは関東の情勢である。~~~』

司馬遼太郎さんが描いたこれらを読んでいくと、前原一誠が維新後「萩の乱」の首謀者として不平士族達にまつりあげられたことが、少しばかり分かるような気がしている。

◎娘の帰省お土産シリーズその2、
岡山県備前市の鷹取醤油という醤油屋さんのパウンドケーキ、意外な取り合わせでついついエッと言ってしまったが、醤油屋さんがお菓子や色々なものにチャレンジされているらしい。
中に黒大豆が入っており少しばかり醤油の香りがする。
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