種田山頭火(1882~1940)は防府市(旧佐波郡)の出身で、云わば同郷・山口県の大先輩に当たるが、酒に溺れ、雲水姿で放浪、自由律(5・7・5にとらわれない)の漂泊俳人として近年不思議によく名前を聞くようになってきた。
近親者の自殺や破産などのせいもあったと思われるが、現在の物の見方からすると破天荒な生き方に違いない。
山頭火の俳句をみるとまさに非定型、自由そのもので賛否あると思われるが、以前山頭火の事を書いた記事を読んで私が手帳に書き留めておいた句を挙げると、
・分け入っても分け入っても青い山
・どうしようもない私が歩いている
・うしろすがたのしぐれてゆくか
それぞれになんとも云えない心にあとを引く感じが残る。
先日この日記に書いた重村房雄さんが書かれた「ふるさと談議」には続編があり「続ふるさと山陽」と名付けておられる。
この中に「山頭火厚狭へ泊まる」という随想が載っておりとても興味を覚えて読ませて貰った。
山頭火は放浪日記を書き残し昭和5年(1930)以降のものが残されているが、昭和8年7月に行乞(ぎょうこつ・たく鉢)旅の途中厚狭に泊まったことが書かれている。
その部分を抜粋すると
「暑かった。労(疲)れた。行程八里、厚狭町小松屋という安宿に泊る。掃除は行き届いて、老婦も親切だがキチョウメンすぎて少々うるさい。行乞相はよかった。所得もわるくなかった。埴生(はぶ)一時間、厚狭二時間、それだけの行乞で食べて飲んで寝てノンキに一日一夜生かせていただいたのだから、ありがたいよりもったいなかった。明日は是非小郡(おごおり)まで行かう。~~~」
行乞(ぎょうこつ)とは托鉢と同様で、家の門(かど)に立ち喜捨を願う乞食行(こつじきぎょう)のことだが、厚狭の町では行乞相(ぎょうこつそう)がよかったとあり、良い収入と出会いがあり、ひとまず満足している様子がうかがえる。
別の山頭火の日記をみると他の町では行乞相がわるかったと書かれている場合もあり、厚狭出身者の私としては読んでいてホッとした気分になった。
然しよくよく考えても山頭火のようには成れそうにない自分が居る。
◎近くの通りでツツジが花盛り