ふるさと厚狭の映画館③厚狭三晃

「厚狭三晃」は厚狭駅から実家があった鴨庄(かものしょう・古くからの人は「かもんしょう」と呼んでいた)へと続く道と、旧国道2号線の交差点にあり、厚狭駅から100m程度の好立地で、厚狭で最後まで頑張られた映画館である。
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「ふるさと談義」によると館主は火災で焼失した加茂川座(4月14日のこの日記参照)を手掛け、昭和26年の焼失後に地元の後援者の協力で駅前の建物を大改装して「三晃映画劇場」として開業された。

館主はもともと役者で、剣劇などが売り物の「阪東晃三郎劇団」を主宰しておられたようで、どうも私の推測では名前から見てこれが「三晃」の由来と思われ、子供時代からの「なぜ三晃?」という疑問が解けた気がしている。

当初事業は順調で昭和28年東隣町に「船木(ふなき)三晃」昭和30年西隣町に「埴生(はぶ)三晃」を開業して3館体制を築き、3つの劇場を映写フイルムを持って駆け廻っている状況だったが、映画不況の到来で埴生が昭和40年、船木が42年と続いて閉館した。

残った「厚狭三晃」は日活のポルノや洋画も含めて手掛けられ2階がポルノ、1階が一般映画の区分けで頑張っておられたが、遂に昭和51年閉館に至り、その年の4月パチンコ店に早変わりしたがそれも今はない。

三晃は松竹と違ってあまり個人的な記憶がないが、ひとつだけ有るのは大映勝新太郎主演の股旅もので「東海道の野郎ども」を高校生の頃に観たことで、なぜか劇中歌の
♪︎♪︎東海道の野郎どもオオ!!♪︎♪︎
というのが未だに耳に残っている。

三晃で別の面で記憶が有るのは、映画の1m×2mくらいの板に貼られたポスター看板で、鴨庄に一軒あった実家近くのよろず屋さんの前に2枚(当時は二本立て興行)掛けられてあり、10日に1度くらいのペースで変えられていた。
洋画やポルノ、現代劇など幅広くあり、憧れの都会への窓口のように思っていたのかもしれない。

現在、厚狭駅には新幹線こだまも停車するようになったが、駅前は映画館があった当時の面影は全く失くなり、商店街もさびれてしまい、帰省の度にため息が出る。
子供の頃この辺りは輝いて見えていたのだが。

◎昨日とは別の場所のツツジ
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