歌のあとさき・加藤登紀子さん

NHKの番組に「歌のあとさき」という、歌と歌手との繋がりを描く15分番組があるが今回、「特別編・加藤登紀子」と題して60分の放送があり加藤登紀子という名前に引かれて録画して観た。

加藤登紀子さんは1943年生まれとのことなので私より先輩に当たるが、ほぼ同時代を生きた印象として、若き日は東大出身のシンガーソングライターとして仰ぎ見る存在だったような気がしている。
然し年齢を重ねた姿からは映画「居酒屋兆治」で高倉健さんと共演し居酒屋のおかみをさらっとこなすなど別の親しみやすさが前面に出てきたような感じを受けている。

その加藤登紀子さんの主な持ち歌と、それに関わったエピソードが、実際の歌にあわせてに語られていく。

①「赤い風船」 1967年 東大在学中からシャンソン歌手に成りたかったがロシア民謡調のこの歌でデビューすることに、運良くレコード大賞新人賞

②「一人寝の子守唄」 1969年 学園紛争最中東大の座り込みに参加、後に結婚する全学連副委員長藤本氏と知り合い、藤本氏が獄中で出した手紙にヒントを得て作詞作曲、レコード大賞歌唱賞、シンガーソングライターの第一歩を踏み出す。

③「知床旅情」 1970年 同じ満州生まれの作者森繁久弥さんから「君は僕の心と同じ心を歌う」と言われた。レコード大賞歌唱賞、紅白初出場

④「この空を飛べたら」 1979年 結婚出産を経てものすごく歌いたいと思った時期に中島みゆきさんの「時代」を聞いてすごい人が出てきたと思い楽曲を依頼した。中島さんの曲には言葉の中に語りが込められていると話す。

⑤「百万本のバラ」1986年 ロシアは両親がロシア料理店を開業して以来の音楽の原点で、兄がロシアで買ってきた「100万本のバラ」の原曲レコードを気に入り、日本語に訳して歌い始めた。88年のニューヨークカーネギーホールでのコンサートをきっかけに日本中に浸透、89年の紅白でこれを歌う。
生まれてからの全てがこの歌に繋がるような気がしたがと語っている。

⑥「ジブリアニメ・紅の豚」1992年 宮崎駿監督と知り合い、頼まれてパイロット達のマドンナ、マダム・ジーナの声で出演しフランス語で歌う。また映画のエンディングに「時には昔の話を」が採用される。

加藤登紀子さんは歳を取ると共にむしろ味わいが出てくる人、例えば樹木希林さんのような感じがする。
中島みゆきさんの詞(詩)に対する評価は私のなかでピタリと来た。

私の次のカラオケチャレンジは「百万本のバラ」にしようと思ってみたが少し難しそうでどうしよう?

庭にトンボが現れた、もうそんな季節?
f:id:kfujiiasa:20200616084641j:plain