湊かなえさんと傘連判状(かされんぱんじょう)

一昨日は朝から天候が不安定でいつもの歩きを短縮して帰宅したところ、ちょうどNHKの「朝イチ」で推理小説作家の湊かなえさんのスペシャトークをやっておりたまたま一部を聞かせてもらった。

作家としての源泉である好奇心がとても旺盛なことの話のつながりで、江戸時代以前の傘連判状の話が出ていて、私と同じような事に興味を持たれていることに感動してしまった。

傘連判状は、手持ちの「国史大辞典」吉川弘文館刊の記述では『多人数の者が一致して契約状や訴状などに署名する場合、円形放射状に署名する文書をいう。署名の順位がはっきりせず、署名者が対等になり、または首謀者をかくす効用をもつ。ーーーーー』となっている。

武士階級では有名な例として毛利元就が、山陰の大々名・尼子氏と西国の雄・大内氏に挟まれた安芸国(あきのくに・広島県)の豪族を語らい外敵に対して一致結束を図った傘連判状があり、毛利元就を語る際には必ず出てくる。
毛利元就の傘連判状写し

特に江戸時代には百姓一揆の首謀者は、訴えがどうであれ死罪が原則であり、この為首謀者をわからなくするために一揆を立ち上げる際の訴状の署名はほとんどこの形式が採られた。
(2020年1月27日と2月17日の2回このブログにふるさと厚狭周辺で起きた百姓一揆のことを書いたがこの何れのケースも徹底した追求がされ首謀者は処刑されている)

湊かなえさんはこの百姓一揆の傘連判状が興味深いといい、自分がその署名者の一員なら首謀者とみられないために、署名の位置(例:円の12時3時6時9時のポイントは避ける)や捺印の仕方(例:目立つ印章は避ける)などを必死に考えるであろうことを語られた。

さすがに作家の好奇心は半端でないことがよく理解できる。確かに目前に生か死の分かれ目がある場合、人間の本能として必死に考えを巡らすであろうことは当然だが、そのことを想像できる裏には、好奇心からくる深い洞察力があるように思われそれが推理小説につながっているのだろう。

◎昨日は肌寒い中ホームコースへいつものメンバー4人の組み合わせで出掛けてきた。ウインドブレーカーを着てのゴルフで季節の移ろいを否応なく感じた一日だった。
スコアーは45、48、トータル93目標を4打オーバー
折角の新しいドライバーがうまく打てていない、練習不足を反省。

コース内で感じる秋



「世に棲(す)む日日」と厚狭毛利家

11月7日のこのブログで幕末の女流勤皇歌人・野村望東尼(のむらぼうとうに)と高杉晋作のかかわり合いを書いた際に、作家・司馬遼太郎さんが幕末の長州藩吉田松陰をはじめとする松下村塾系の群像を描いた「世に棲む日日 」第三巻を引用させてもらった。

第三巻はそのほとんどが高杉晋作の行動で埋めつくされているが、書棚から出したのを機に読み直して見ると、ふるさと厚狭を給領地とした厚狭毛利家に関係する箇所が有ることが若い時に読んだ記憶と共によみがえってきた。

①現在は宇部市の一部になっている船木市(ふなきいち)は以前は厚狭郡の一部であり藩政期には厚狭毛利領で上(かみ)厚狭と呼ばれていた。

長州藩が下関海峡を通過する外国船を「攘夷実行」の名目で砲撃したことの報復で、元治元年(1864)8月、4ヶ国連合艦隊が下関砲台を占領、その後の和平交渉で長州藩はその交渉役を高杉晋作に任せる。その部分の抜粋から

『おととい、第一回談判がおわったあと、晋作と伊藤俊輔(博文)はこの結果を船木に駐在する世子(せいし・世嗣ぎ毛利元徳)に知らせるべく急行した。船木というのは、いまの地名でいえば小野田市宇部市の北方にある。平闊(へいかつ)の地で、道路が四方から入り込んでいるため、長州藩時代には内陸交通の要衝であり、ここに郡代役所もおかれていた。世子は山口から出てきてこの船木でこの非常事態における指揮をとっていた。ーーーーー』

長州藩が内圧外圧を受けて俗論派(保守派)が実権を握った状況下、高杉晋作が決起したことで保守派と高杉などが率いる奇兵隊等の諸隊を主力とする正義派との武力衝突・「大田絵堂の戦い」が慶応元年(1865)初頭に発生する。

この時保守派の総指揮官・総奉行に任命されたのが厚狭毛利家第九代・毛利元美(もとよし)の異母弟で養子となっていた宣次郎(せんじろう)である。その部分の抜粋から

『ーーーーー明木(あきらぎ)村は赤村からみればさらに萩城下に近い。この村に藩政府軍の中軍が駐屯しており、大将は毛利宣次郎であった。「どうか中軍と合流させてくだされ」と敗走してきた粟屋帯刀(あわやたてわき・先鋒指揮官)は上級指揮官である毛利宣次郎の本営に駈け込むと、土間に折りくずれるように座り、そう頼んだ。精も根も尽きはてたという姿であった。すでに粟屋以上に敗北感をもっていた毛利宣次郎はこれを叱らなかった。ーーーーー』

◎ふるさと厚狭もこの頃否応なく維新前後の激動のなかに巻き込まれていく。
厚狭毛利家はこの経過などから保守派の烙印がついてまわり、明治維新に出遅れることになる。

◎歩きの途中で見かけた柿の木、形からすると富有(ふゆう)柿のようで、もうそろそろ食べ頃のような気がするのだが。
f:id:kfujiiasa:20211112104615j:plain
f:id:kfujiiasa:20211112104640j:plain

「パンタレイ パングロス」

昨日は朝から雨模様でいつもの「歩き」にも行けず思い立ってコロナで一年以上ご無沙汰している「コメダ珈琲店」へ車で出かけてきた。

モーニングセットでコーヒーとトーストゆで卵を頼んでみたが今までと変わらぬ味で、また支払いには1年以上持ったままのコーヒー回数券が使用できて何か得した気分になった。

お客さんは思ったより少なく、ゆったりと「週刊文春」を読み始めて懐かしい生物学者福岡伸一さんの連載エッセイ「パンタレイ パングロス」が目にとまり面白く読ませてもらった。

福岡伸一さんについては2019年10月12日のこの日記で「好きなことが君を励まし続ける」との題で書かせてもらったことがある。

ちなみに聞きなれない「パンタレイ」とは古代ギリシャの哲学者の言葉で〈あらゆることは偶然で、全ては移ろう=万物は流転する〉の意味で、「パングロス」とはフランスの小説から採られた言葉で〈全ては宇宙の偉大な設計者によってあらかじめ計画されている=予定調和〉とのことらしく福岡さんは相反している言葉をバランスを取る意味から並べている。

エッセイの方は「好きなことが君を励まし続ける」の続きとも云えるような内容で

『子供の頃に出合った「好き」を大切にしてその「好き」を追求しながら勉学に励むという事自体はとても素晴らしいことだと思う。しかしその成果や達成は短平急に求められるべきでないーーーーー自然はそんなに単純に出来ていないという諦観(ていかん・あきらめ)を熟成していくのが学問や研究するということ。ーーーー人生は長い晩成型がよいと思います』
と記される。

◎読んでいて全く同感で、直ぐに役に立つものは多くの場合長続きしない。中国の老荘思想の言葉「無用の用・役に立たないと思われるものが実は重要な役を果たしている」にも通じるような話だなと朝から少し考えさせられた。

◎ここ数日「あられ」や冷たい雨に断続的にみまわれて、一番心配したホウレン草だが、今朝雨上がりに見ると何とか無事に乗り切ったようだ。もうじき収穫出来そう。
f:id:kfujiiasa:20211112082148j:plain
f:id:kfujiiasa:20211112082217j:plain

薩摩藩家老・小松帯刀(こまつたてわき)

高村直助(たかむらなおすけ)著「小松帯刀吉川弘文館刊を読み終えた。
小松帯刀についてはこのブログでも2019年5月31日に「幕末の薩摩藩家老 小松帯刀」という題で新聞記事から少し触れさせてもらったことがある。
f:id:kfujiiasa:20211110160617j:plain

従来から薩摩藩明治維新功労者は西郷隆盛大久保利通をその双璧とするのが一般的ながら、私は従来からこの二人に並ぶべきものが小松帯刀であり、一時期にはこの二人を超える存在であったと考えていた。

この本は歴史研究者が当時の史料をひもとき事実を元にその生涯を追跡したもので、これを読んで私が従来から考えていたことは決して間違っていなかったと確信した。

薩摩藩の家臣団最上層になる在地領主・一所持(いっしょもち)の家柄の出自で同格の小松家を継いで21歳から出仕、
11代島津斉彬(なりあきら)及び12代忠義(ただよし)の父で国父と称された島津久光(ひさみつ)に仕えて城代家老まで累進した。

私のふるさと長州藩文久3年(1863)「8月18日の政変」で朝廷や京都を追われ、この挽回を図るべく翌元治元年(1864)7月19日京都に攻めの上った「禁門の変」で敗退して朝敵になり存亡の危機に立つ。
この裏には常に薩摩藩があり京での責任者といえる小松帯刀が居た。敵ながら天晴れとしか云いようがない。

この後は共通の目的である倒幕を意図した薩長盟約を経て、大政奉還鳥羽伏見の戦いへとつながる激動の中で常に薩摩の中心的存在であり続ける。

更に維新直後は外交の役職を担当するも、下腹部腫瘍(しゅよう)その他で満34歳の若さで大阪で死去した。
葬儀は私にも馴染みのある大阪天王寺村・夕陽ヶ丘で行われたという。

病死早世がなければ明治維新の功労者として広く世に知られたはずである。

◎これも菊科だろうか?
f:id:kfujiiasa:20211110160227j:plain
f:id:kfujiiasa:20211110160253j:plain
f:id:kfujiiasa:20211110160320j:plain

「いつも心に樹木希林」

女優・樹木希林さんの前の名は悠木千帆だったが、その頃はあまりに好きな俳優ではなかった気がする。
いつの間にか樹木希林になりTVドラマやTVのCM、特に映画では「なくてはならない人、必要とされる俳優」という感じで受けとめていた。

特に河瀬直美監督の「あん」や大森立嗣監督の「日日是好日」は私の好きな樹木希林さんの出演作である。

キネマ旬報ムック「いつも心に樹木希林」は副題に「ひとりの役者の咲きざま、死にざま」とあるように樹木希林さんの追悼本である。
f:id:kfujiiasa:20211109140620j:plain

樹木希林さんのエッセイや色々な人との対談、あるいはよく知った人たちの樹木希林にまつわる文章が沢山載せられている。

これらのなかから私なりにいいなと思えた箇所を抜粋すると、
①娘の内田也哉子さんの、葬儀の際の喪主代理の挨拶、
いつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。
「おごらず、他人(ひと)と比べず、面白がって、平気に生きればいい」

夢千代日記で共演した吉永小百合さんとの対談で、
吉永さんに向けて「はあー元気ですねえ。(笑) 今日は久しぶりに小百合さんと逢って、本当によい年の重ね方をしてるなあと思いました。やはり女性でも、顔はその人の人生を表すものですし、いくら化粧しても、ひっぱっても縫い縮めてもバレますからねえ。ーーーーー」

③「あん」で共演した市原悦子さんとの対談で、
「でもね、こんな私も、昔は、たとえチョイ役で出た作品だったとしても、的外れな評価をされれば、その人の首根っこ掴まえて「この映画はこういうことなんだよ!」って言わずにはいられない性分でしたけどね。今はもうそんな体力はないね」

④「万引き家族」で共演した女優・松岡茉優さんの追悼エッセイから、
ーーーまだ青い私には希林さんのお人柄を理解するなんてとても出来ないので憶測ですが、希林さんは歳を重ねていくなかで、大きく太く厚くなっているのではなくて広く細く鋭くなっていかれたのではないか。
そうやって生きていくのは物凄く辛いのではないか。
そんな生き方が出来るだろうか。ーーー

◎面白く自分を貫かれた人のように感じている。

◎小さな川辺を埋めつくしているのはオギだろうか?
f:id:kfujiiasa:20211109150539j:plain
f:id:kfujiiasa:20211109150610j:plain

「わが心の大阪メロディー」

「なにわの紅白」のキャッチフレーズで大阪人に親しまれているNHKTV大阪放送局の「2021わが心の大阪メロディー」を録画してようやく観ることが出来た。
もう何回目かは分からないが毎年の恒例になっている。

今年は連続TV小説「カムカムエヴリバデイ」のスタートに当り、主演の上白石萌音さんが司会の一人に入り、そのうえにさだまさしさんと一緒に山口百恵さんの「秋桜・コスモス」を歌った。あまりに歌が上手くて正直ビックリしてしまった。
これからもきっと歌のオファーがあるに違いない。

その他今回は三山ひろしさんが懐かしい「宗右衛門町ブルース」を唄い、私もずっと応援している山口県出身で12歳で大阪に卓球留学した石川佳純選手もゲストとして招かれていたことなどが、個人的に良かったと思っている。

処で私が大阪に住んでもう半世紀、その割りに大阪の地理・歴史・文化などのことを充分理解しているとはとうてい云えないが、大阪メロディーについては幾つか学習させてもらった。

勝手に好きな歌を挙げると
海原千里・万里 さん 「大阪ラプソディー」
♪︎♪︎あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街

都はるみさん 「大阪しぐれ
♪︎♪︎ひとりで生きてくなんて できないと

③ザ ・ピーナッツ 「大阪の女」
♪︎♪︎まるで私を責めるよに 北の新地に風が吹く

フランク永井さん 「大阪ぐらし」
♪︎♪︎赤い夕映え通天閣も 染めて燃えてる夕陽ヶ丘よ

⑤三音英次さん 「釜ヶ崎人情」
♪︎♪︎立ちん坊人生味なもの 通天閣さえ立ちん坊さ

こうやって振り返って見ると大阪メロディーも私の好みも泥臭いのがとても多い。

◎秋らしく小菊が花ざかり、朝のNHKラジオではこの頃ちょうど連続で伊藤左千夫の「野菊の墓」を朗読している。
f:id:kfujiiasa:20211107163032j:plain
f:id:kfujiiasa:20211107163057j:plain
f:id:kfujiiasa:20211107163121j:plain
f:id:kfujiiasa:20211107163145j:plain

「カムカムエヴリバデイ」の不思議な記憶

NHKの連続TV小説「カムカムエヴリバデイ」が始まった。
ラジオ番組の英会話教室を軸にしたドラマらしく、前の「おかえりモネ」とはだいぶ雰囲気が変わった印象を受けている。

始まったばかりで話の中身に立ち入ることはまだまだ出来ないが、この題名になっている「カムカムエヴリバデイ」は戦後昭和21年に始まった番組のオープニングの歌が元になっているとのことで、曲は「証城寺(しょじょうじ)の狸ばやし」を使っている。

♪︎♪︎Come come everybody.
How do you do, and how are you?
Won’t you have some candy?
One and two and three, four, five.
Let’s all sing a happy song.
Sing trala la la la.♪︎♪︎

実はこの連続TV小説が始まる前のNHKの色々なプロモーション映像の放送を観ていて、私の幼い頃のものと思われるが古い記憶の底から「証城寺の狸ばやし」のメロディーと共に「カムカムエヴリバデイ」の文句がじわじわと頭の中でかけまわりはじめた。

♪︎♪︎カムカムエブリボデイ、エブリボデイハウアーユー
ワンチュウ ハムサムカンデー
ワントウアンドスリーフォーファイブ
リットルシングハッピーソング
シングトランランラン♪︎♪︎

書き出して見るとこのような記憶で、今振り返って見るとただの言葉としての記憶と実際の英語の歌詞は、似ているものの少しばかり違っていることが分かる。
これがどうして私の記憶に残っているのか、不思議でしょうがない。

実際は昭和21年からの放送らしく、年齢からみても私がラジオ放送を直接聞くことは無いように思われる。
母親から聞いたのかも知れないがもう確かめる術もない。
何れにせよ私のそばで誰かがかなりの回数を唄ってもらわないと今に残るほどの記憶になることはないのだが。

この不思議な事から考えると、子供の頃に正確な英語を繰り返し聴かせておくことは、外国語の基礎にとって有用なことかもしれないなと思うばかりである。

こんな縁から新しいTV小説を毎日習慣にして観ていこうと思っている。

◎八尾市内の和菓子屋さんの庭、レモンの変種と花
f:id:kfujiiasa:20211105135756j:plain
f:id:kfujiiasa:20211105135825j:plain
f:id:kfujiiasa:20211105135910j:plain
f:id:kfujiiasa:20211105135943j:plain