「空飛ぶクルマ」

現状から抜け出すための夢の商品開発が色々な業界で、密かにまたは声高に行われているが、近い将来実現しそうなもののひとつが「空飛ぶクルマ」かもしれない。

人間の乗らない荷物専用の空飛ぶ宅配便はドローンを使い物流会社と通販会社等が参入して実用試験段階まで来ている。

当面想定される空飛ぶクルマは「近中距離を手軽に移動できる次世代の乗り物」という位置付けでありJALが25年度に運航サービス開始を目標にしている形を例にすると、2人乗りのドローン型電動機で垂直離着陸する。

先ず20km程度の実証実験を進め次の段階で50~150km程度の中距離都市間のサービスを検証していく構想である。
中距離の範囲であらゆる場所を往き来出来るタクシーのような構想と思われる。

このような構想は当然ANA等も計画しており更に世界の各企業(ボーイングエアバスTOYOTA、等々)がスタートアップ企業を取り込んだり提携したりで競って肝心の機体開発に乗り出している。

日経新聞の記事では米国金融会社・モルガン・スタンレーは2040年の世界の「空飛ぶクルマ」の市場規模を1兆5000億ドル(約165兆円)と予測している。

然し何と云っても一番の課題は「安全」確保であり、普通に考えて、空中衝突の回避や機体故障時の墜落防止等の課題は多いに違いない。

その為の基本はやはりルールや標準を作ることが先決で、日本も含む各国が既に動き出しているらしい。大きな枠組みの第一歩は自動操縦で電動、垂直離着陸といった辺りかもしれない。

これから更に厳しくなる過疎地、高齢化といった対象の移動課題の解消には必ず役に立つ。

私の生きている間に、宇宙旅行は少し無理かも知れないが、「空飛ぶクルマ」は多分乗れるだろうと期待を持って見ている。

◎もう無花果(いちじく)の季節らしい。
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「マスターズ」

マスターズはゴルフをする人なら誰もが知っているいわば世界一を決める試合と云っても良いかもしれない。
世界の4大大会、いわゆるメジャーの全米オープン、全米プロ、全英オープンと並んでその一角を占めている。

他の3試合は毎年違ったゴルフ場が選定され開催されるが、唯一マスターズトーナメントだけは同じゴルフ場、アメリカ・ジョージア州 オーガスタナショナル・ゴルフクラブで開催される。

そうなったのは生涯アマチュアを続け球聖とまで謳われたボビー・ジョーンズ(1902~1971)が当時の4大大会を1年間で全て制覇して引退し、故郷のアトランタ近くに「愉しいゴルフがしたい」と仲間と共に造り上げられたゴルフ場をベースに、ゴルフの名手たちを招待した大会が始まりだからである。

本條 強(ほんじょうつよし)著 「マスターズ」ちくま新書
はその歴史や開催の意義をベースに、1934年の第一回大会から直近の2020年の大会まで、アーノルド・パーマーゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラウス、トム・ワトソン、タイガー・ウッズ等々の活躍を交えてひもといていく。
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著者は休刊になった雑誌「書斎のゴルフ」の編集長で私も時折読ませてもらっていた。

ところが皮肉なことに、この本の発行は2021年3月なのだが、この年の4月、日本の松山英樹選手がこのマスターズに優勝してしまうのである。

この事はこのブログの4月12日に「松山選手のマスターズ優勝」として書いたが、日本のゴルフにとって世の中がひっくり返るような快挙で、著者や出版社の筑摩書房はこの1ヶ月の差をどう受け止めたのか、最悪? 最高?
つい気になってしまう。

内容のあれこれはひとまず置いて、この本に紹介されている名選手の言葉で気になったものを挙げる事にした。

☆「ゴルフは耳と耳の間のゲームだ」(体力より知力)
「愉しんでこそゴルフ。悩まず、苦しまず、怒らずに」
ーーボビー・ジョーンズ

☆「自信のある自己流は、自信のない正統派に優る」
ーーアーノルド ・パーマー

☆「ゴルファーの最大の敵は他人でなく、自分だ」
ーーゲーリー・プレーヤー

☆「人と違っても自分が良ければそれを信じて自分のもの
にする」
ーージョーダン・スピース

◎歩きの途中、八尾飛行場から民間ヘリコプターが離陸。
地上より数メーター離陸
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ホバリングしながら少しずつ東へ
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徐々に西へ旋回
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西へ向けて飛行開始
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インドへの考察⑤中国に取って代われないインド

いちばん上の孫とインドの先行きについて話した経緯から、インドについては出来るだけニュースや情報をウオッチするようにしており、この事は今までもこのブログに書いてきた。

日経新聞のGLOBAL EYE という紙面のNIKKEI Asia に掲載された Opinion のコラムでカナダ・アジア太平洋財団の特別研究員 ルパ・スプラマニャさんが「中国に取ってかわれないインド」と題して寄稿されている。
この財団はカナダ政府系らしくルパさんは名前がヒンドゥー由来のようでインド系の人と思われる。

その要旨は
☆民主主義国の間では「好戦的な」中国より民主主義国インドとの経済貿易関係を強化すべきという議論がある。

☆然し欧米の大企業が中国からインドへバリューチェーンの中心を変えるような動きは見られない。

☆インドは地域の経済連携、TPP(環太平洋経済連携協定)RCEP(東アジア包括的経済連携協定)に参加できていない事から明らかなようにグローバルバリューチェーンへの統合レベルが低くスタートラインにも立てていない。

☆インドが中国に取って代わって世界の製造業のハブになるというのは地政学から生まれた希望的観測に過ぎない。

・中国の人口14.4億人、インドの人口13.8億人
・中国のGDP14.2兆ドル、インドのGDP3兆ドル
実質的なスタートは両国とも第二次大戦後と考えられるなか、周辺の民主主義国からの期待や支援も大きいが、なぜ
差が詰まっていかないのか?

アメリカ・シリコンバレーなどのIT先端産業はインド系の人材が支えていると云われるように教育、人材などの面でも決して劣っているわけではない。

私がタイに駐在していた折によく聞いた東南アジア共通のことわざに「見知らぬ道でコブラとインド人に出会ったらインド人を先に殺せ」というのがあったが、インド人、印僑(いんきょう・海外に出て現地で生活するインド人)の商売上手を皮肉ったものと云われる。このように経済面でも活躍し得る素地もある。

それなのになぜ人口が拮抗する中国を追い上げることが出来ないのか。
ヒンドゥー教カースト制などの影響だろうか?
理気候風土などの固有の要因なのか?
民主主義国より権威主義的な国の統治の方が優れているとの誤ったメッセージになりかねない。

疑問は尽きないが、第二次大戦後の東京裁判で日本の無実を唯一主張したパール判事の出身国で、長くイギリスの植民地であった事から国論もこれを支持したと云われる。

早くインドが離陸する姿を見たいものである。

◎まだまだアサガオが頑張って咲いていた。
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アレクサンダー大王

アフガニスタン情勢のニュースに頻繁に接するうちに、紀元前4世紀エジプトや小アジア(トルコ)、メソポタミアアフガニスタンを越えてインド・インダス川流域までの広大な地域を制覇したアレクサンダー大王の事が自然と頭に浮かんだ。

現在のアフガニスタン情勢からもわかるように複雑な民族構成、宗教、地勢、気候・風土等の壁を越えて当時の人が想定しうる世界の全てをほぼ制覇したといってもよいかもしれない。

わずか20歳でギリシア世界の覇権を握るマケドニア王に即位したアレクサンダーは、当時ギリシアと世界を二分するアケメネス朝ペルシャと決着をつけるべく、21歳で東方遠征にギリシャ連合軍を率いて旅立つ。
東方遠征地図
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・24歳で中近東全域、エジプトを制覇
・25歳でメソポタミア全域を制覇(ペルシャの首都スーザ、古都バビロン、歴代王の墓所ベルセポリスを含む)
・26歳~28歳ペルシャ帝国東半分の制覇行(アフガニスタン等を含む)
・29歳インド王ポロスと闘い勝利、同盟締結、インダス河を下る
・31歳スーザに帰還東征終了
・32歳アラビア半島からカルタゴ(北アフリカ)に至る西征を計画、バビロンに全軍集結後、高熱で倒れ死亡。

西欧世界の若き大英雄アレクサンダーについては色々な本に書かれているが、日本人が読む場合作家・塩野七生さんが自ら最後の著作と云われた「ギリシア人の物語」第Ⅲ巻「新しき力」に描かれたアレキサンダー大王ほど優れた読み物は他に見当たらないのではと思っている。
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塩野さんはこの大部の著作の最後にこう書かれている。
少し長すぎるが以下に引用した。

『人間ならば誰でも、自分の生涯を簡単に総括されるのは釈然としないと思う。
アレクサンドロスもきっと、短くはあったが充実していた彼の生涯を、手っ取り早く簡単にまとめられるのは喜ばないと思うのだ。

それよりも、彼の生涯を静かに思い返しながら、一人一人で考えてくれるほうが嬉しいと思うにちがいない。
そして、考えてほしい。なぜ彼だけが後の人々から「大王」と呼ばれるようになったか。なぜ、キリスト教の聖人でもないのに、今でもキリスト教徒の親は子にアレクサンドロス(英語ならばアレクサンダー、イタリア語ならばアレッサンドロ、略称ならアレックス)という名をつける人が絶えないのか。

その理由はただ単に、広大な地域の征服者であったからか。それとも他にも、愛する息子にこの名を与えるに充分な、理由があるのか。なぜアレクサンドロスは2300年が過ぎた今でも、こうも人々から愛されつづけているのか。』

◎私はアレクサンダーが征服した東方に現在住む人々、例えばアフガニスタン人に彼のことをどう思っているのか聞きたい気持ちがある。

◎歩きの途中出会った野生の小さな(1cm位)花
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銅のあれこれ

島根県津和野の奥にある、銅山の差配を江戸時代から担った一族の庭園「堀庭園」のパンフレットを知人から入手して、この地域に銅山が有ったことを初めて知った。
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銅山は近くの石見銀山を含んだ地域として幕府直轄の天領だったようで、この一族は銅山の開発を担当する銅山師と天領差配(さはい)役を兼ねていたと記されており、写真を見ると豪壮な邸宅と見事な庭が残されており、当時の権威と富が想像出来る。

私の郷里に程近い山口県美祢市には、産出した銅を奈良・東大寺の大仏鋳造に使ったといわれ長い歴史を持つ長登(ながのぼり)銅山があるが、この一族はある時期からこの長登銅山にも関与していたようである。

日本の銅山と言えば古河財閥の栃木県足尾銅山住友財閥愛媛県別子銅山が有名で、何れも今では考えがられない程の鉱毒、煙害等の公害事件を引き起こしている。

足尾では有名な田中正造明治天皇直訴事件、別子では精錬所を瀬戸内の小島・四阪島に移設するなど大きな社会問題になっていた。
古河グループ住友グループ共にこの銅山が発展の礎(いしずえ)になった歴史がある。

ところで昨今、銅の値段が高騰しているニュースが散見され、世界の標準指標であるロンドン金属取引所(LME)の価格は需要、供給の両面から昨年同時期に比べ5~6割も上昇している。

この為日経新聞の記事によると、ダイキン富士通ゼネラル三菱電機などでは銅の使用量を低減しアルミニウム等に代替させる取り組みを加速させるとのことである。

この銅を値段の安いアルミに変える動きは家電業界などでは数十年来の課題であり、私の現役時代から続く取り組みといえるが、加工技術面や強度面がネックとなりなかなか進まない。
銅には加工のしやすさ、接合のしやすさ、アルミに比べた強度面の優位性等があり、導電性や熱伝導性も含めて得難い特質がある。

然し車の電動化等、脱炭素の動きの中で益々需要がひっ迫し銅価格は上昇傾向と予測され、代替技術がより必要になるのだろう。

銅山の歴史遺産からついあれこれと思い付くまま現在の銅の状況まで書いてしまった。

◎菊の仲間だろうか鮮やかな白、整った形、1輪だけで存在感がある。
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厚狭毛利家代官所日記⑪嘉永4年(1851)②菜種油事件

厚狭毛利家給領地内の民政に関わる嘉永4年の日記、菜種油事件について現代文に直す。
またこの事件の前置きとして8月26日のブログに背景を書いている。

10月28日
梶浦の熊吉(熊太郎)と申すものが他国の種子(菜種)を取り扱ったとのことで津留打ち廻り中(港で物資などを見廻りする役目、ここでは下津港と思われる)より杉山弥兵衛(庄屋)まで申し出があり本人の口述書の提出が有ったと届けられた。
併せて吉田宰判大庄屋まで持参届けの取り計らいの依頼があった。

口述書の写し控え

私儀、菜種油取り扱いに関し不審があり、行きがかりをありのままにせよとのことで申し述べます。
かねてから肥やしその他が入り船の折には問屋として売り捌きをしていました。

24日、下関の権太郎と申すものが筑後(福岡県)の菜種6斗入り20俵を積んで来て、買って呉れるように頼んで来ました。
かねてからの御法に気付かず埴生浦の油屋・麻屋武兵衛と相談して値を決め~~~
世話料を引いた代金を権太郎へ渡しました。

この時武兵衛は居らず手代清三郎と申すものにこの経緯を説明したところ、菜種の他国売買は厳重に差し止めとのことで、気付かなかったとはいえ御法を心得ずみだりに売り捌き世話したこと不束で申し開きできない誤りであったことを申し上げます。

吉田宰判小都合庄屋杉山弥兵衛存内 (そんない・庄屋が管轄する村の内)給庄屋 平九郎組
熊吉(熊太郎)
☆〈萩藩の場合、厚狭毛利家領内のように家臣に与えた給領地では庄屋の事を小都合(こつごう)庄屋、その下の畔頭(くろかしら)の事を給(きゅう)庄屋と呼んだ〉

吉田宰判へ杉山弥兵衛より届け出たところ宰判の算用方より手子(てこ・助手役)2名が梶浦へ詮議の為に出張された。

11月1日、2日
梶浦 熊太郎の件についての厚狭毛利家代官・井上勇から萩藩吉田宰判代官・池田謙治宛て書状
百姓熊太郎
この者は兼がね心得の筋が宜しくないとの聞き込みがありましたが、過る24日下関権太郎と申すもの筑後菜種6斗入り20俵~~~
菜種他国売買はかねてから御法もあるところ、重々不束で不届き千万であり、よってこの先、ご指示通り張紙閉戸の沙汰致しました。

11月19日

井上勇から池田謙治宛て書状
百姓熊太郎

菜種の件について先に閉戸を申し付けられていましたが格別の御了簡で張紙を取り除き平常を仰せ付けられました。
尤も他出差し止め(他所へ出かける事を禁じる)はそのままにしておく。
以上の通り沙汰しております。
(約20日間の閉戸処分だが、今まで散見された閉戸のなかでは長い方と云える)

嘉永4年は米国ペリー提督の来航の2年前になるが、8月26日のこのブログに書いた菜種油に対する幕府の統制や、萩藩の専売制が浸透していることをうかがわせる記述になっている。
この時点では未だ幕府の権威に揺らぎは無いのだろう。

◎コスモスの仲間?小さな蜂が蜜を吸いに。
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This is Naomi ・『聖火台で感じた「日本人」』

4月21日のこの日記に、初めて寄稿されたテニスの大坂なおみ選手の手記「This is Naomi」のことを書いたが昨日その2回目・『聖火台で感じた「日本人」』が日経新聞に掲載された。
紙面に載った聖火台の大坂なおみ選手
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先の東京オリンピックで聖火の最終走者と聖火台への点灯を担当したことを踏まえ選ばれたことの栄誉を感じて、更には自分のバックグラウンドに想いを馳せている。

外国人のようだと自分でも認める大坂なおみ選手が、このオリンピックの聖火最終走者に選ばれたことの意味を自分なりに受けとめ真剣に考えていることに対し正直言って感動してしまった。

アレコレ書くより感動した部分をそのまま載せる事にした。

「両親は私が小さい頃からいつか日本代表として五輪に出てほしいという夢を抱いていた。テニスを続けるにつけそれは私の夢にもなった。北海道の根室に住む祖父母はテレビ中継される私の試合を欠かさず見てくれている。私がセットを落とすだけで心臓が縮むというおじいちゃんはどんな気持ちでこの瞬間を見ているだろう。二人して泣いているかもしれないな。そんな考えがふと浮かんだ。」

「でも、そんな外国人のような私が日本の代表として開会式で聖火ランナーを務めたという事実は日本人の意味する範囲が広がっているいることを示している。多様な人々に対して門戸を開いていこうという国で開催された五輪の開会式に多様性の象徴として参加できたことは、私の人生を通して大きな意味を持つ。」

コロナウイルスの大変な時期に開催されたことに私自身も多少疑問を感じることもあったが、この大坂なおみ選手の手記を読んでやはり大きな意味もあったことを再認識した。
多様性を認めることで得られるものの大きさを考えさせられる。

◎近くの防災拠点のフェンス周辺で咲いている小さな花、
名前は分からないが色や形に違いがある。
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