アレクサンダー大王

アフガニスタン情勢のニュースに頻繁に接するうちに、紀元前4世紀エジプトや小アジア(トルコ)、メソポタミアアフガニスタンを越えてインド・インダス川流域までの広大な地域を制覇したアレクサンダー大王の事が自然と頭に浮かんだ。

現在のアフガニスタン情勢からもわかるように複雑な民族構成、宗教、地勢、気候・風土等の壁を越えて当時の人が想定しうる世界の全てをほぼ制覇したといってもよいかもしれない。

わずか20歳でギリシア世界の覇権を握るマケドニア王に即位したアレクサンダーは、当時ギリシアと世界を二分するアケメネス朝ペルシャと決着をつけるべく、21歳で東方遠征にギリシャ連合軍を率いて旅立つ。
東方遠征地図
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・24歳で中近東全域、エジプトを制覇
・25歳でメソポタミア全域を制覇(ペルシャの首都スーザ、古都バビロン、歴代王の墓所ベルセポリスを含む)
・26歳~28歳ペルシャ帝国東半分の制覇行(アフガニスタン等を含む)
・29歳インド王ポロスと闘い勝利、同盟締結、インダス河を下る
・31歳スーザに帰還東征終了
・32歳アラビア半島からカルタゴ(北アフリカ)に至る西征を計画、バビロンに全軍集結後、高熱で倒れ死亡。

西欧世界の若き大英雄アレクサンダーについては色々な本に書かれているが、日本人が読む場合作家・塩野七生さんが自ら最後の著作と云われた「ギリシア人の物語」第Ⅲ巻「新しき力」に描かれたアレキサンダー大王ほど優れた読み物は他に見当たらないのではと思っている。
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塩野さんはこの大部の著作の最後にこう書かれている。
少し長すぎるが以下に引用した。

『人間ならば誰でも、自分の生涯を簡単に総括されるのは釈然としないと思う。
アレクサンドロスもきっと、短くはあったが充実していた彼の生涯を、手っ取り早く簡単にまとめられるのは喜ばないと思うのだ。

それよりも、彼の生涯を静かに思い返しながら、一人一人で考えてくれるほうが嬉しいと思うにちがいない。
そして、考えてほしい。なぜ彼だけが後の人々から「大王」と呼ばれるようになったか。なぜ、キリスト教の聖人でもないのに、今でもキリスト教徒の親は子にアレクサンドロス(英語ならばアレクサンダー、イタリア語ならばアレッサンドロ、略称ならアレックス)という名をつける人が絶えないのか。

その理由はただ単に、広大な地域の征服者であったからか。それとも他にも、愛する息子にこの名を与えるに充分な、理由があるのか。なぜアレクサンドロスは2300年が過ぎた今でも、こうも人々から愛されつづけているのか。』

◎私はアレクサンダーが征服した東方に現在住む人々、例えばアフガニスタン人に彼のことをどう思っているのか聞きたい気持ちがある。

◎歩きの途中出会った野生の小さな(1cm位)花
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