『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』

何か題名からしてどうかな?と思うような本だが『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』(株)KADOKAWA刊を読み終えた。

といってもとても内容を体系的に理解したとは言えず、部分的にその箇所、その意味がようやく少し理解出来た程度かもしれない。

質問する側の塩野 誠さんは文系で、普段は企業経営者に企業戦略のアドバイスをする仕事に従事し、答える側が東大で人工知能の分野を研究している松尾 豊さんで、この分野ではよく知られた存在らしい。

二人の人工知能に関連するあれこれの対話や質疑応答を本にしたもので、二人はかねてよりの知り合いらしい。

体系的に書くまでにはとても至らないので、繋がりにはこだわらず私が面白いと感じた部分をピックアップしておくことにした。

人工知能には二つの流派がある。一つは人間のような高度な知能、人間よりも賢い知能の実現を目指そうとする流れーー「強いAI」。もう一つは現状のテクノロジーでは高度な知能はできないとしても、普通のコンピューターよりはもう少し知的で、賢くみえるような仕組みを作っていくという方向ーー「弱いAI」

・ここにきて急に人工知能が賢くなってきたのはウエブ上で膨大なデータ(ビッグデータ)が存在するようになったことによる。色々な知識処理や人工知能的なアプローチがこの膨大なデータの出現によって可能になってきた。

・未来を予測する場合、人間は生き物なので原因と結果のように物事を因果関係的に捉えて予測する。人工知能の場合は基本的に一方の変化により他方が何らかの影響を受ける相関関係を使う。

人工知能がこの先人間をどう変えていくかについて2種類のシナリオがある。その一つは人間には仕事そのものがさほど必要なものでなくなり大事な部分は全てコンピューターがやっていてそれで社会は廻っている。もう一つは分担がうまく進んでいく状態。コンピューターに定型的で自動化された処理を任せ、人間は医師やコンサルタントといった対人系のインターフェースが重視される仕事やマクロの判断をする。

人工知能が人間と近い思考や概念を獲得するには肉体も人間と近いものを備える必要がある。人間における危険とは身体が傷付けられる確率が高い状況を示すが、ロボットの危険とは何なのか例えば電源が抜かれそうになるとか、物理的な存在に概念を規定される。

・大きな流れとして人間に出来ることは意志決定と責任を取る機能だけになってしまう。

🔘これから人工知能の時代だと言われても門外漢にとってはなかなか全体を理解するには至らないが、一歩一歩少しずつ理解を進めて行きこれからに備えることが大事なのだろう。

🔘今日の一句

 

秋潮に競い勇むや漁り船

 

🔘毎朝歩く道そばにたくましく生きる一株のヒメジョウン、