「わたしの芭蕉」

加賀乙彦著「わたしの芭蕉講談社刊 を読み終えた。

俳句をかじり始めて八ヵ月、一向に進歩が感じられない中で何か得ることが出来るものがないか悩んでいるが、たまたま図書館で俳句の本棚を見ていると旧知の小説家が書いた芭蕉の本が目について表紙の絵にも牽かれて借り出した。

著者は精神科医師も兼ねる小説家だがこの本の「はじめに」や「あとがき」を読むとその芭蕉に傾倒する姿は半端なものでなく、全句976(研究する人によってその数に若干のバラツキ有り)の読書に明け暮れ芭蕉を読むとは国文学研究の成果を知ることだと述べている。

芭蕉が中国の思想家「荘子」に牽かれ、その著作から句作へ色々と取り込んでいることや、その人生行路の中で「野ざらし紀行」「笈の小文(おいのこぶみ)」「おくのほそ道」に記された散文は俳句とならんで日本語表現として非常に優れていることなどを知ることが出来た。

ちなみに芭蕉の生まれは寛永21年(1644)伊賀上野で姓は松尾、通称が甚七郞である。郷士の出で藤堂藩の大身に仕え主人の俳諧に学び、主人の死後江戸に出て本格的に俳人の道を歩む。

(この出自と全国を巡った行動から、芭蕉は忍者ではなかったか幕府の隠密ではという説が古くからある)

私がこの本で最も参考になったことは芭蕉が句を作るに当たり推敲に推敲を重ね完成に至っている事実である。

先入観で、天才的な俳人はその場で直感的に句を作るものだと思っていたが、芭蕉のような人物でも言葉を選び考えてその完成度を上げて行く事実が腑に落ち、私のような初心者は尚のこと一句を考え尽くす必要があることがよく分かった。

・参考になった有名な句の推敲事例

①山寺や石にしみつく蝉の声  ➡️

②淋しさの岩にしみ込むせみの声  ➡️

③閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声〔最終句〕

詠み直すごとに句が良くなっていくのが素人目によく分かる。

 

【鴬に御呼ばれしたる朝餉かな】

 

🔘施設の一階駐車場出口付近に活けてある花、全て庭から採って来たものらしい。