「なぜ山県有朋は悪役になったか」

雑誌「文藝春秋」の12月特別号の巻頭随筆のひとつとして近・現代日本政治外交史が専門の歴史学者伊藤之雄(いとうゆきお)の「なぜ山県有朋は悪役になったか」が掲載されている。

今年安倍元首相の葬儀で菅前首相が岡義武著「山県有朋」を取り上げ安倍氏がその「山県有朋」を読んでいて伊藤博文暗殺の際に山県が詠んだ和歌のところのページが端を折られたいたエピソードを明かし話題になった。

私はその「山県有朋」を所蔵していたのだが引っ越しで処分してしまった。

私の郷里山口県が中央に躍り出た明治維新で、木戸孝允大村益次郎広沢真臣などが維新後相次いで死去した後、長州閥を率いたのは伊藤博文山県有朋であった。

伊藤と山県は共に高杉晋作に兄事して初期の志士活動の修羅場を乗り越えてきた。維新後例えるなら陽と陰のように見られ世間的には伊藤の方が圧倒的に人気があり、山県には汚職事件(山城屋和助事件)、陸軍閥日清戦争での独断専行などの悪役イメージが付いて回った。

伊藤之雄氏は岡氏の本から半世紀経つ2009年、新しい史料も発掘して山県の伝記「山県有朋 愚直な権力者の生涯」を発行されている。この内容を踏まえ随筆のなかでその山県の功績を二点要約されている。

①欧州で一年間軍制調査を行い明治3年(1870)に国民皆兵(徴兵)制を導入し、陸軍を近代化して安全保障に寄与した。

②政党嫌いの山県がデモクラシー状況を遅ればせながら理解して政党政治家・原敬首相を信頼し助けた。原首相は第一次大戦後の日本の産業基盤・教育・外交を大変革しようとしていた。また前内閣が行ったシベリア出兵をやめようとし、山県は陸軍を抑え撤兵に協力した。

🔘私も世間の風潮通り故郷の大先輩の維新後の活動に少し懐疑的であったが、この随筆で目を覚まされた気がする。もう一度「山県有朋」を読んでみようと思っている。

 

【冬歩き 小鳥と日差し 背を押して】

 

🔘朝方、垂水沖で久し振りにLNGタンカーが西へ航行するのを見つけた。

関西、大阪湾近郊には堺泉北地域と姫路に大規模なLNGの基地がありこの船も何れかに寄港するのだろう。