画家・長谷川等伯と七尾(石川県)

JR東日本が発行している情報誌「大人の休日倶楽部」は施設のライブラリーにいつも置いてあるが、その11月号に桃山時代に活躍した画家・長谷川等伯の特集が掲載されておりその副題が「七尾が育み狩野派に迫った桃山美術の天才絵師」となっている。

JRなので旅へと誘うのが本旨なので「仏画でたどる上洛への途(みち)」ともうひとつの副題で、等伯がたどった生涯を旅の形で作家・安部龍太郎さんが案内する内容になっている。

私は安部龍太郎さんの小説「等伯」で初めてその生涯を知ったのだが副題に書かれている通り

能登国(石川県)七尾に生まれ育まれた

・都の画壇を独占していた大派閥・狩野派に単身挑み秀吉に認められる。(現在国宝になっている作品もある)

といったことがその骨子になると思われるが、今回安部さんは「生涯忘れなかった家族愛と望郷の念」を付け加えられている。

ところで当時の能登・七尾は守護大名・畠山氏の大規模な城下町で、京の文化との交流が盛んであり等伯も影響を受けたとされ、また畠山氏にも縁があった。

巨大だったと想定されている七尾城は越後(新潟県)の龍・上杉謙信に攻め落とされ、内紛に振り回された名族・畠山氏も滅亡する。その謙信は1年の長期にわたる攻防の末陥落させた七尾城で宴を開いて、今に伝わる有名な漢詩・「九月十三夜」を詠む。

  • 【霜は軍営に満ちて 秋気清し
  •   数行の過雁(かがん) 月三更(つきさんこう)
  •   越山(えつざん)併せ得たり 能州(のうしゅう・    能登)の景
  •   遮莫(さもあらばあれ) 家郷の 遠征を思うを】
  • 🔘遂に宿願だった七尾城を落として能登・越後・越中3ヶ国を併せた太守となる。越後の家族や家臣が案じてくれているなか、月見の宴を開いている謙信の心中が溢れる詩になっている。
  • しかしこの裏には畠山氏滅亡に伴う被害者が等伯を含め多数いることを感じざるを得ない。

🔘用事があり少し早く起きたので朝焼けを5~10分くらいの間隔で撮ってみた。

鉄拐山と旗振り山が噴火しているように見えるときがある。

 

【音無しも 噴火の如(ごと)き 冬日の出】

 

別の日雲ひとつ無い晴天の日の出