「足軽(あしがる)」のことなど

日本史に関連して史料や本を読むと「足軽」という言葉が頻繁に出てくる。

私が追跡している厚狭毛利家にも、家臣の身分や俸禄を記録した安政2年(1855)の分限帳(ぶげんちょう)を見ると家老から始まる5段階の侍身分の次に「足軽」として41軒の苗字と名があり、その下にある「中間(ちゅうげん)」は苗字がなく名のみ4軒となっている。

この分限帳には侍身分は計185 軒が記録されているところから侍比約22%の足軽がいたことになる。

厚狭毛利家の民政を記録した代官所日記の中では侍身分の役人が村政を処理する過程で、手子(手伝い)として有能な足軽が頻繁に補助を担う様子が記録されている。

明治初期の身分呼称では侍身分にいわゆる「士族」が当てられたが足軽などは平民との中間として「卒族」と呼ばれた。

苗字が付いていることから武家社会での末端にあった人々と言って良いかも知れない。

足軽」は戦国時代の導火線になったと言われる「応仁の乱」に登場しており、足軽く駈け廻るの意味で騎馬に乗らないいわば武士身分でないものを指す。

京都五山の禅僧の日記にこうあるという。

「東軍側には精鋭が300人余りいる。足軽と言って鎧を着けず槍も持たない。只一剣を持って敵陣に突入する」

以後百数十年に渡り乱世が続いて社会は流動化するが、信長、秀吉、家康と繋がるなかで安定化、体制崩壊の主役だった人々が順次身分社会に組み込まれ分限帳の一員になり、以後の二百数十年間も生き残っていることになる。

 

【虫の声   励まし追われ  速(はや)歩き】

 

🔘今朝歩くと鳩が群がって実を食べている。かなり貪欲に美味しそうに頬張っている様子で樹の名前を公園の管理人さんに聞いて「スダジイ(椎)」とわかり椎なら人間も食べる(子どもの頃かじった記憶がある)のでなるほど鳥のご馳走だと納得した。

スダに対応する定まった漢字は無いようである。

やはり椎はドングリと似て非なるもので、飢饉になると活躍した記録がある。