戦国武将 三澤氏物語①

私のふるさと厚狭は関ヶ原合戦後、江戸時代を通じて厚狭毛利家の給領地であったが、厚狭毛利家が入部する前すなわち毛利氏が中国地方八ヶ国の太守であった時代、一時的に三澤為虎(みさわためとら・三沢摂津)が領していた。

天正17年(1589)毛利輝元は秀吉の太閤検地に伴い領国内を検地し、総高八ヶ国112万石の「八箇国時代分限帳(はちかこくじだいぶげんちょう)」を作成した。

それによると三澤為虎は厚狭郡内で1万石二斗五升を得ていたことになっておりほぼ厚狭全域を領地として下津(当時は板垣の津)の惣社八幡宮の社地に住んだと考えられている。

関ヶ原合戦後毛利氏の防長二州減封に伴い三澤為虎は1万石の所領を削られ厚狭・山野井村他で700石を新たに拝領、身分も長府藩毛利秀元家臣(萩毛利氏からみると陪臣)とされた。

厚狭の内山野井村他三ヶ村が長府領であったのはこの事に由来しており以前このブログに書いたことがある。

毛利秀元は旧誼を思い自領から2000石を加え、2700石の重臣として遇した。

この三澤氏のことをもう少し詳しく知りたいと思い色々当たっていたところ三澤氏ゆかりの島根県奥出雲町「要害山三沢城跡保存会」という団体から三沢城築城七百年を記念して「戦国武将 三澤氏物語」という冊子が発行されていることを知った。

現地・三沢公民館にお尋ねしたところ冊子の余分は全く無いということで、ご好意から残る一冊からコピーをして送って頂くことになり手元に届いた。

長府藩中略譜写し・三澤為虎

以降数回に分けて「戦国武将 三澤氏物語」の内容をここに書いておくことにした。

 

🔘一日一句

 

幼子とついにらめっこ夏のカフェ

 

🔘昨日の朝は夏の霧が立った、少しずつ晴れて来た明石海峡大橋