「道づれは好奇心」

澤地久枝著「道づれは好奇心」講談社 刊を読み終えた。先日このブログに書いたNHKのドキュメンタリー番組「ミッドウエー海戦 3418人の命を悼む」以来知らず知らずのうちに澤地久枝安野光雅コンビに私自身に縁が出来たらしく偶然手に取ったこの本の装幀も絵本作家・安野さんである。

題名に表れている通り好奇心が人一倍な著者が、生い立ちや学びの時期ノンフィクション作家としての活動などのあれこれを綴ったエッセイ集で、本人も書かれている通り前だけしか見ずに突っ走る性格が垣間見える。

何より安野光雅さんの装幀画の全体が面白い。澤地さんらしい女の子が空港で荷物や本人が安全検査を受ける図で、「コノ子ハハダカデモ」「キンゾクハンノウ スルゾ ハハア」「スジガネイリジャ」と子供姿の検査官が言っている。その端で上着を脱いだ澤地さんらしい女の子が「コクソシテヤル」と呟いている。

これは澤地さんをよく知る安野さんでないと描けない的確なユーモアが含まれている。

この本は2002年発行の古い本だが、1999年に当時68歳で聴講に通っていた国立琉球大学法文学部大学院に頼まれ「非常勤講師」として「歴史事実へのアプローチ」というテーマで教壇に立ったこととそのときの若い学生との交流にかなりの記述が割かれている。

この本を読むと著者は決して健康とは言えない華奢な身体のようだが、それに怯むことなく知的好奇心のおもむくままに取り組む姿はまさに「筋金入り」であり、尊敬すべき生き方を見せてもらっているような気がする。

著者は琉球大学での講義の際、毎回最後に好きな言葉や文章を紹介されたらしいが、その中のひとつに故郷の大先輩松陰先生・吉田寅次郎の言葉があった。

草莽崛起(そうもうくっき・野に在る志あるものが立つ)、豈(あ)に他人の力を仮らんや。恐れながら天朝も幕府・吾が藩も入らぬ。只六尺の微軀(びく・小さな身体)が入用

 

🔘一日一句

昭和12年(1937)7月7日北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)に響いた一発の銃声が泥沼化した日中戦争の勃発を告げた。結局この日中戦争が太平洋戦争を引き起こす大きな要因になる。

 

七夕や響く銃声盧溝橋

 

🔘近くの施設の庭のタマザキクサフジ