「北京の歴史」③エピソード②

1月13日の続き、「北京の歴史」に書かれているエピソードの内の残りの2項目。

③盧溝橋(ろこうきょう)

盧溝橋は北京の西南郊外の永定河(えいていが)にかかる橋で11基のアーチ型孔洞をもつ橋脚で支えている有名な橋である。

永定河の旧名が盧溝河でありこの名が付いたらしい。

橋は北方民族の女真(じょしん)が建てた「金」の時代、1192年に完成しその基本型を800年以上経った現在も維持している。その要因のひとつが橋脚部分の上流側が尖塔形で下流側側方形の船形になっていることにあり激流や流氷の衝撃を減らす工夫がされている。

余談だが私の郷里山口県で最も有名な橋・錦帯橋も橋脚部分に同様の形状の工夫がなされている。

橋の建設から百年余り後モンゴル族「元」の時代に訪れたイタリア人・マルコ・ポーロは「東方見聞録」の中でこの橋の見事さを西洋世界に紹介しこのことから西洋では「Marco Polo Bridge」として知られる。

またこの橋のたもとで昭和12年(1937)謎の一発の銃声に端を発した日中両軍の衝突「盧溝橋事件」が勃発、事態はエスカレートして日中戦争に発展、一発の銃声が日本の運命を大きく変えることになる。

毛沢東肖像画

最近中国に関連するニュースの際、最も良く見る映像といえば北京の天安門広場から見上げる毛沢東肖像画かもしれない。私も現役時代中国に駐在していた折り、広場から巨大な毛沢東を眺めその功罪両面を思い返したことがある

1986年以前は複数の肖像画が掲げられていたが、以後広場には毛沢東の肖像のみを掲げる方針が示されている。

乾燥した土地特有の強い陽光や自然環境による劣化のため毎年10月1日の国慶節(建国記念日)前に新しくされるとのことで、これを描き続ける芸術家たちの存在がある。

清朝では「時」を支配する皇帝が暦を頒布するのが旧暦の10月1日であり、肖像画の更新と時を同じくしていると「北京の歴史」の著者は書いている。

 

🔘今日の一句

 

凩(こがらし)に負けず歩めと松巨木

 

🔘施設介護棟屋上庭園のパンジー