「足利尊氏」

森 茂暁(もり しげあき)著「足利尊氏角川選書 を読み終えた。

足利尊氏は毀誉褒貶の激しい典型的な人物である。鎌倉幕府を倒した最大の功労者で室町幕府創始者でもある。

しかし後醍醐天皇に呼応して鎌倉幕府を滅ぼした後、後醍醐天皇と袂を別ち北朝を立てることにより南北朝の対立を起こすことになり太平洋戦争までは正統といわれる南朝に反抗した逆賊という汚名が付いて廻った。

著者は私と同年生まれの中世の政治と文化の研究が専門の歴史家で、尊氏の発給文書1500点を収集しこの一次史料を最大限活用することで足利尊氏の歴史的な役割を実証的に跡づけようとしたものである。

ここではこの本によって私自身の新たな知見となったいくつかを挙げておくことにする。

・足利氏は八幡太郎義家の孫・義国を祖とし下野国足利荘を本拠にした源氏の名門で鎌倉幕府からも一目おかれる存在であった。父・貞氏には嫡男がいたが早世し、尊氏が宗家を継いだ。

鎌倉幕府打倒に共に貢献しその後建武政権(後醍醐天皇治世)下で対立する新田義貞とは、共に源氏の名門ながら位階の面で圧倒的に足利氏が優位であった。対立の根本原因は劣勢である新田氏のライバル心にある。

・尊氏と後醍醐天皇との対立は、先ず弟・足利直義(ただよし)と義貞との軍事抗争が発端で、そのあおりで尊氏が解官(げかん・官職を免ずる)処分を受けて反撃の意思を固めたところにある。

・世に有名な兵庫湊川で尊氏と戦い戦死する楠木正成と尊氏との間には精神的な人間関係が存在し、相互に相手を敬愛していたことがうかがえる。

室町幕府は初代・尊氏から二代・義詮(よしあきら)への将軍権力移行が10年間かけて周到にかつスムースに手際よく行われることで幕府の基礎が確立、三代・義満の南北朝合体、公武統一政権の実現への足がかりを築くことになった。

🔘この本を読むと通説とは異なる意外に人間味溢れる尊氏像が見えてくる気がした。

🔘一日一句

 

仰向けに駄々っ子なりと黄金虫

 

🔘近くの施設の庭、ツユクサ