「播州の国」

播磨国である神戸市の西の端に住むようになり、この地域の歴史などにも興味を持ち初めている。

作家・司馬遼太郎さんの数代前の先祖は播磨国の出身であることは黒田官兵衛が主人公の作品「播磨灘物語」のなかにも書かれていたが、その司馬さんに

播州の国」という誠に短いエッセイがあり全集でようやく探すことが出来る。

現在の兵庫県三木市に本拠を構えていた別所氏の三木籠城戦にまつわる話である。

余談だが現在の三木市は金物の街として全国に有名だが、これは三木籠城戦で荒廃した街を建て直すべく勝者の羽柴秀吉が全国から大工などの職人を集めた際に大工道具を作る職人も集まりこれが核になって発展した歴史がある。

この籠城戦は本願寺や毛利氏の支援を当て込んで別所氏が織田信長羽柴秀吉に反旗を翻したことが発端だが、三木の干殺し(ひごろし)といわれる織田軍の封鎖で2年にわたる籠城の後、城主・別所長治の切腹で開城した。

司馬さんは、播磨地方に三木姓が多いのは、このとき籠城していた農民を含む約2万人と推定される人々が各地に散って、それぞれに籠城の家系伝説を持ち、明治維新のときに庶民にも姓を作った際にこの家系伝説で三木という多くの姓が出来上がったと推定されている。

実は私の現役時代、三木から通って来られている先輩が居られて私が「別所長治の籠城戦ですね」と言うと我が意を得たりと家系伝説が出てきた。

司馬さんがエッセイで書かれている『播州地方の村々で三木の籠城ばなしを家系伝説でもっていない家はむしろめずらしい』

というのが実感としてよく分かる。

以下は私の考えだが、この籠城戦の終わりは城主夫妻が自害することで幕引きとなり将兵は助命された。戦いは干殺しというような水と食糧を断たれた凄惨なものであったが何とか美談として終結し「終わり良ければ全て良し」の辺りに地域の昔語りが拡がる素地が出来たものと考えている。

🔘午後に歩くゴルフ場脇の道はネットフェンスで区切られている箇所が多いが、そのネットに色々なツルがからみつく。

これもそのひとつで実が茶色いさや有る豆のようなものが付き可愛らしい少しの花を付けている。

 

【秋の風  絡む蔓草(つるくさ)  解(ほど)きけり】