厚狭毛利家代官所日記㉘文久2年⑩石炭採掘のトラブル

ふるさと厚狭を含む山口県の西部一帯は炭鉱が多くあった地域で、藩政時代からの石炭と厚狭との関わりについては、このブログに2020年8月26日、8月30日、9月3日の3回、「ふるさと厚狭の石炭」と題して書いてきた。

石炭など鉱業の開発には公害騒ぎやトラブルが付きもので、厚狭毛利家給領地の民政を記録した代官所日記にもこの一端が書かれている。

文久2年(1862)8月14日の記録

お願い申し上げる事(7月付けの上申書)

この度山田村(船木の小村)葭ヶ浴(よしがえき)という処で石炭掘り取りのことを茶屋村中(船木の小村)へ指示された様子をお聞きしました。
然しその場所の浴筋(水気の多い谷筋)に私共の田へ水を供給する堤(つつみ・ため池)が有ります。
この度掘り取りを指示された石炭の上に有ります。
これまで追々の干ばつ時でも水が湧き出で困る事がなく幸せでありました。
石炭の掘り取りにより水が抜けてどれだけ難渋するか図りがたいものがあります。~~
何とぞ後難に及ばないよう御詮議をお願い申し上げます。

畦頭(くろがしら・村役人)宛て
百姓6人連名

8月31日の記録

申し上げる事
山田村岩本十兵衛殿の土地にて石炭掘り取りを行った件で、お尋ねを受け恐れ入ります。
当春以来薪炭が無く古い石炭穴を後さらえして少々取り帰ったところ、値段が高いと聞いて凡そ300振り(一振で60kg)程掘り出し港へ出したところちょうど売り口もあり売りさばきました。兼ねて御沙汰もありお届けせずに私の考えで掘り取りしたことについて申し開きもなく恐れ入ります。

弥吉 印

・この他に地主の岩本十兵衛名で、掘り取りは自分の不在の間に弥吉が勝手にしたこと、という言い訳内容の上申書が添付されている。

その後約一ヶ月経過した 閏8月24日の記録

石炭の件について咎めの沙汰をする(詳細は別に記載とある)
・追込(狭い部屋に入れ出入りを禁ずる) 5日間 岩本十兵衛
・張紙閉戸(罪状書を戸口に貼り付け戸口に竹を渡し出入りを禁ずる) 10日間及び罰金銀300目 弥吉

閏8月28日の記録

葭ヶ浴の堤水問題について代官所役人が出張検分、当面は問題ないように見受けられ、細かい状況を申し入れた百姓中に説明の上申し出は却下、万一後年に堤水が無くなるような事があれば別途詮議することにした。

◎この当時の石炭は塩田の燃料として重宝され、厚狭毛利家にとっても石炭採掘は上納金が入る大切な収入源である。
百姓衆の申し入れは無下に出来ず、一時停止を無視して勝手に採掘した者は処罰したものの、結局石炭採掘自体は続行せざるを得なかったものと思われる。

◎このような農業への影響と併せ、坑道を掘り進んで他領地まで越境したりするトラブルも報告されている。

◎日本の近代化に大きく貢献したものの一つが国産エネルギーである石炭であった。
このようなトラブルは有ったにせよ厚狭地域では江戸時代から既に石炭が採掘され、日本の近代化のさきがけとなった歴史はふるさとの誇りのひとつと云える。

◎春はもうすぐそこに!地域ゴルフの幹事さん宅の梅を撮らせてもらった。
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