厚狭毛利家代官所日記㉖文久2年⑧無宿人の悲哀

江戸時代の戸籍は、キリシタン禁制目的も兼ねて寺毎に檀家、壇徒(門徒)の名簿を作り宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)と呼ばれるものが用いられた。

通常出生から死亡までこの人別改帳に載ることになるが、
飢饉(ききん)や親からの勘当等で故郷を出奔せざるを得なかった場合等々、色々な事情でこの人別改帳から外される無戸籍者が出てこの人達を無宿人(むしゅくにん)と呼んだ。

映画などでやくざや博徒などを無宿人と呼んだりするが、一般生活者のなかにも無宿人が存在した。
江戸時代後期になると都市近郊などで無宿人が増え、幕府は無宿人というだけで捕らえて佐渡金山に送って強制労働に従事させたり、近郊から追い払ういわゆる所払いなど過酷な政策を行った。

ふるさと厚狭を治めた厚狭毛利家給領地内の民政を記録した代官所日記文久2年(1862)の記録にこの無宿人に関する記事が載っており、各地大名領国でも過酷な取り扱いを受けていたことがわかる。

8月晦日(みそか・末日)の記録を現代文に直す。

『舟木新町 佐治郎という者の貸家に居る髪結いを生業とする無宿・権兵衛という者、不審な点があるとの事で今朝方勘場(かんば・萩藩船木宰判の役所)から召し捕られたと庄屋から届け出があった』

『これを受け身元保証人、佐治郎、その組合の者迄、無宿者を留め置いた心得の筋を詮議するため士分2名を現地出張を指示し供述書を袋に入れて持ち帰った』

閏8月2日の記録

『髪結い無宿・権兵衛の件
無宿者を留め置いたことはご法度であり、身元保証人、借り宿の世話人、家主等の心得について役人を以て究明したところ何れも申し開きもなく恐れ入るとのことを書き上げて申し出た』

『権兵衛のことは格別不審なことはなく、早速領内から追い払うようにしたところ勘場からは郡境払い(厚狭郡内からの追放)との指示があった』

◎職に就いて何も悪いことをしていない者を、ただ無戸籍だと云うことで追放処分にしてしまうことなど、現代から見ると人権無視の暴挙のように映るが、これが当時の社会統制の現実であった。

◎これはピッタリ来ないがイベリスの仲間のような気がする。
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