「坂の上の雲」と連合艦隊解散の辞

先日、長崎県対馬の万関瀬戸のことをこのブログに書いたが、関連した日露戦争日本海海戦を見直そうと思い司馬遼太郎さんの大作「坂の上の雲」を書棚から引っ張り出し、海戦に関わる第5巻、6巻を読み始めると止まらずつい最後まで読んでしまった。
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この本はよく知られているように日露戦争を縦糸に、四国松山出身の3人、正岡子規秋山好古(あきやまよしふる)、真之(さねゆき)兄弟、を横糸にして明治という時代を描いたものだが、いつ読み返しても勃興期にある日本がとてもまぶしく心が沸き立つような気がする。

折角の事なので何か書かねばと思ってしまったが、書く切り口が余りに多く、さてと思ったところで、終章に秋山真之が起草したといわれる「連合艦隊解散の辞」に関する記述がありこの事を書かせて貰うことにした。

連合艦隊とは元々戦時編成のもので通常は独立した例えば第一艦隊、第二艦隊などの単位で戦略的に運用される。
昭和期になると連合艦隊は常備の組織になったが、それまでは戦時など連合して統一運用する必要がなくなれば元の個々の艦隊に戻る、いわゆる解散された。

連合艦隊参謀で、日本海海戦の作戦などそのほとんどを主導した秋山真之は名文家としても知られ、バルチック艦隊発見の報を受けて打電した有名な「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす」の原案に「本日天気晴朗なれども波高し」を付け加え戦場の環境に於ける自軍の優勢を知らしめた。

秋山真之が起草した「連合艦隊解散の辞」は司令長官・東郷平八郎が式典で読み上げたが、その文章は格調高く軍人のあり方を説きアメリカのルーズベルト大統領を始め各国が翻訳して自国軍人に広く知らしめた。
全文は長いが広く知られる核心の2箇所を紹介する。

『~~百発百中の一砲、よく百発一中の敵砲百門に対抗しうるを覚らば、我ら軍人は主として武力を形而上(けいじじょう・無形のもの、ここでは不断の訓練など)に求めざるべからず~~』

『神明はただ平素の鍛練につとめ戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安んずる者よりただちにこれをうばう。古人いわく、勝って冑(かぶと)の緒を締めよ、と 』

◎あれほどの完全勝利でも尚訓練などを要求し、勝ちによる慢心を諌める当時の軍の精神性の高さに圧倒される。

◎こんな寒さでも季節は少しずつ進んでいるらしく、近所の梅がつぼみから花へとやや変わっていく兆しが見える。
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