川路聖謨(かわじとしあきら)①と隣街・船木宿

NHK大河ドラマ「青天を衝け」では先週、主人公渋沢栄一を自分が仕えている一橋家に仕官させた恩人の平岡円四郎が暗殺された。
この平岡円四郎を後援し一橋家に推薦したのが下級幕臣御家人(ごけにん)出身でありながら勘定奉行外国奉行まで累進し、幕末の開明的な官僚の一人と言われる川路聖謨である。

大河ドラマでは川路役を平田満さんが演じている。
余談ながらこの役の平田さんを見て「歳をとられたなあ!」と自分の事を顧みずビックリしてしまった。

私の中の平田さんは映画「蒲田行進曲」の下積み役者「ヤス」そのもので、銀ちゃん・風間杜夫さん、小夏・松坂慶子さんとともに若くて輝いていたのだが。

ペリー来航直後の嘉永6年(1853)ロシア使節プチャーチンが通商を求めて長崎に来たとき、川路は「露使応接掛」を命ぜられ、長崎に下向する。
この時川路はロシア側にも信頼を得たようで安政元年(1854)日露和親条約締結に至る。

川路聖謨嘉永6年長崎に下向した折りのことが日記に残されているが、この時山陽道を通り厚狭毛利領・船木(厚狭の東隣)に止宿したことが「宇部 小野田 厚狭 歴史物語」瀬戸内物産出版部 刊に書かれている。
f:id:kfujiiasa:20210611125924j:plain

厚狭毛利領内のことを記録した「代官所日記」は嘉永6年のものが刊行されておらず残念だが、例えば天保6年11月13日の記録には
「長崎御奉行牧野長門守様御上り 船木御止宿に付き例の通り出張仰せ付けられる」
として厚狭代官所より挨拶に出向いたことが記されており幕府役人の船木止宿は慣例であったようである。

厚狭毛利領船木(現在宇部市船木)は当時上厚狭(かみあさ)と呼ばれ、山陽道の本宿(ほんしゅく)で、「御茶屋」と称された本陣があり諸大名や幕府役人などが利用し、今も地名として残っている。

厚狭を通過する当時の山陽道では東の船木と西の吉田(下関市)が本宿でその中間に有る厚狭は半宿であり主に庶民の休憩止宿に利用された。

これを縁にして川路聖謨のことをもっと知りたいと思い、コロナ対策で閉館中の地域図書館に関連本を予約することにした。
◎桜の木の下で咲いているのはオシロイバナ
f:id:kfujiiasa:20210611111201j:plain
f:id:kfujiiasa:20210611111235j:plain
f:id:kfujiiasa:20210611111302j:plain