桐葉菓(とうようか)と風流武辺(ふうりゅうぶへん)

昨日は梅雨の合間で久しぶりにゴルフでホームコースに出かけてきた。
帰宅してみると山口県周南市の中学同級生から手紙とお菓子が届いていた。友人の方に届けて貰う私の本に関することで懐かしい名前も出てきて、嬉しく読ませてもらった。

更にお菓子の包みを開け由来書きを読んでビックリ感動してしまった。

広島名物「もみじ饅頭」の和菓子屋さんの「桐葉菓」という和菓子で茶道・「上田宗箇流」の縁で武将・上田宗箇が豊臣秀吉から拝領した桐の紋にちなんで茶人好みにも合うよう工夫されたと記されている。


今朝、コーヒーと共にいただいたが小豆あんにもち米が絡んでモチモチ食感になっておりとても美味しかった。

上田佐太郎重安は戦国時代を生き抜いた武将の一人で以前から私自身とても興味有る人物で注目していた。
初め、織田信長重臣丹羽長秀に仕え長秀死後は秀吉の直臣(じきしん)になり豊臣姓を賜り主水正(もんどのしょう)に任官した。

関ヶ原では西軍に属したが助命され剃髪(ていはつ)し宗箇(そうこ)と号した。その後阿波(徳島県)・蜂須賀家客分から、紀伊(和歌山県)浅野家重臣として再度仕官、浅野家が広島に国替えになるとともに広島に定住し生涯を終えた。

小柄ながら武術にすぐれ、本能寺の変の折り丹羽家臣として、明智光秀への加担が疑われた織田信長の甥・津田信澄の首を獲り、大坂の陣の折りには浅野家臣として、大阪方勇将・塙団右衛門(ばんだんえもん)を討ち取った。

徳島城や広島で作庭家として名を遺すとともに古田織部正(ふるたおりべのしょう)などから茶を学び武家茶道・上田宗箇流の祖となる。
文武両道とはこの人の為に有るような言葉かも知れない。

私が初めて上田宗箇のことを知ったのは作家・津本陽さんの「風流武辺」からであり、昔読んだ文庫本を押入れから探し出して来た。

佐太郎が武術の指南を受ける遠縁の女性と恋に落ち死別する場面は記憶にいつまでも残っており、「風流武辺」の題名は、文武両道を表し爽やかなイメージが湧いてくる。
またこの本の解説は上田宗箇流16代家元上田宗嗣氏がご先祖をふりかえって書かれている。

◎昨日のゴルフは、普段と反対で前半が悪く49、後半が改善し43、トータル92、とにかく雨に遇わなかったのが最大の収穫の良い1日でした。